河合 敦の日本史の新常識 第50回

かつて教科書で学んだ歴史は、新事実や新解釈をもとに定期的に改定されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
日進月歩の研究によって解明される〝新しい日本史〟や〝知られざる新常識〟について、歴史研究家・河合敦さんが解説します。

魑魅魍魎があなたの横に!?

京都の奥地、志明院の物語


イラスト:太田大輔

鴨川は、京都を代表する河川である。夏、三条大橋から鴨川を眺めると、川辺に納涼床がずらりと並ぶ。まさに京都らしいすばらしい景観だ。

今回は、そんな鴨川の源流を訪ねてみようと思う。

桟敷ケ岳〈さじきがだけ〉(標高約896m)に源を発する全長約27㎞の河川、それが鴨川だ。山岳から流れ出た水は、いくつもの小河川と合わさりながら出町柳で高野川と合流した後、そのまま南へ流れて伏見区で桂川と合流して淀川へ注ぎ込んでいく。ちなみに高野川との合流点より上流は「賀茂川」と表記するのが一般的なのだそうだ。

ご存じのように、鴨川はかつて暴れ川として知られ、たびたび平安京に大洪水の被害をもたらした。平安時代に院政を敷いて絶大な権力を誇った白河法皇も、自分の思いどおりにならないものとして双六の賽〈さい〉(サイコロの目)、山法師(延暦寺の僧兵)と並んで鴨川の水(流れとその水害)を挙げている。

しかしその一方で、その川水や伏流水(地下水)は、農業用水や生活用水として京都の人々の生活や文化を支え、都を発展させてきた。京野菜や湯葉、日本酒、茶道などは鴨川の水なくして存在しなかったのではないかと思う。

私は、ぜひとも鴨川の源流をこの目で見てみたいと思い、志明院〈しみょういん〉を訪ねることにした。京都の市街地から桟敷ケ岳へ向かって車で30分ほど北上していくと、辺りはうっそうとした杉木立となり、山道が驚くほど狭く急になっていく。

出発してから40分ほどで志明院に到着した。この寺は、白雉〈はくち〉元年(650)に修験道の開祖・役行者〈えんのぎょうじゃ〉によって創建され、のちに空海が暴れ川の鴨川を鎮めるために再興したと伝えられる、真言宗の寺院である。今はひなびているが、かつては境内に多数の僧坊があり、修験者たちが修行に明け暮れていた。

室町時代に建てられたという山門をくぐると、杉木立に囲まれた敷地は一面の苔で覆われ、鮮やかな緑色の世界が広がっている。何とも神秘的な空間だった。苔むした階段を上って本堂を過ぎ、さらに道を進んでいくと、左手から心地よい水音が聞こえてくる。飛龍の滝である。桟敷ケ岳からの水が集まって流れ落ちてきたもので、飛龍大権現がお祭りされている。境内では、あちこちで奇岩が木立から顔を出しているが、一番奥に岩窟(神降窟〈しんこうくつ〉)がある。近づくと、岩から水が染み出てポタポタと水滴が落ちているのが分かる。大地に染み込んだ水が長い時間をかけて再び姿を現したのだ。まさしくこれが、鴨川の源流であった。この日、京都の市街地の気温は33度に達していたが、清水と標高のおかげで周囲はひんやりと涼しい。と、にわかにギンヤンマが飛来して、私の肩に止まった。滅多にないことなので、ギョッとして少し背筋が寒くなった。志明院が魑魅魍魎が逃げ着く場所だといわれているのを知っていたからだ。

平安京が発展するにつれ、喧騒に耐えかねた魑魅魍魎たちがこの場所に逃れてきたと伝えられている。ゆえにこの寺を訪れた者は、時として奇怪な体験をするという。歴史作家の司馬遼太郎もその一人である。彼がまだ新聞記者をしていた27歳当時、この志明院に泊まったところ、夜中、障子をゆすったり、屋根裏で四股を踏むような音がする怪奇現象に悩まされた。詳しいことは司馬のエッセイ「石楠花〈しゃくなげ〉妖話」に記されているが、のちにこの話を宮崎駿監督にしたところ、それを聞いた宮崎が『もののけ姫』の着想を得たといわれている。事実かどうかは不明だが、この志明院は、市川團十郎家の歌舞伎十八番「鳴神〈なるかみ〉」の舞台でもある。

鳴神上人は天皇の依頼を受け、皇子誕生を祈願したところ、見事に跡継ぎに恵まれた。ところが朝廷は戒壇を建ててやるという約束を反故にしたのだ。怒った鳴神上人は、神通力で竜神を滝壺(岩屋とも)に封じ込めてしまった。このためまったく雨が降らなくなり、人々は日照りで苦しむようになった。そこで朝廷は、封印を解くために絶世の美女・雲の絶間姫〈くものたえまひめ〉を鳴神上人のもとに送った。彼女は亡夫の着物を洗うため滝の水を求めてこの地に来たと偽って鳴神上人に近づき、弟子入りを求めた。色香に迷った鳴神上人は彼女に酔いつぶされてしまう。その隙に雲の絶間姫は滝に張られていたしめ縄(結界)を懐剣で切り落とす。すると封じ込められていた竜神が天に昇り大雨を降らせ、人々は日照りから解放されたのである。だまされたと知った鳴神上人は、悪鬼となってすさまじい形相で姫を追いかけていくという話である。

八坂神社、清水寺、金閣寺などの有名な寺社には多くの観光客が殺到しているが、今回紹介した志明院のように、市街地から少し離れるだけで京都にはまだまだ知られざる魅力的な場所が数多くあるのだ。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。
多摩大学客員教授。早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『日本史の新常識』出演のほか、著書に『逆転した日本史』(扶桑社)

(ノジュール2024年11月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)

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