河合 敦の日本史の新常識 第51回

かつて教科書で学んだ歴史は、新事実や新解釈をもとに定期的に改定されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
日進月歩の研究によって解明される〝新しい日本史〟や〝知られざる新常識〟について、歴史研究家・河合敦さんが解説します。

江戸の流行りはいつもここから

吉原巻き込む愛憎劇


イラスト:太田大輔

来年の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〈つたじゅうえいがのゆめばなし〉〜』の主人公・蔦屋重三郎〈つたやじゅうざぶろう〉は、ヒット作を連発する版元(出版・印刷会社)で、喜多川歌麿、東洲斎写楽、曲亭馬琴、十返舎一九〈じっぺんしゃいっく〉といった若手を発掘した。

重三郎は吉原遊廓で生まれ育ち、23歳のときに吉原の茶屋(案内所)を間借りして本の販売を始めた。売ったのは吉原細見、いわゆる遊廓のガイドブックである。蔦屋版は、見やすい工夫が凝らされ安価だったので、他を駆逐して独占販売に成功する。やがて重三郎は、有名絵師や作者を吉原で接待し、彼らの作品を手がけて大もうけした。同時に、売れ行きがいいので、吉原を題材にした本や浮世絵も多く刊行した。吉原は人々にとってあこがれの遊興場であり、流行の発信地だったからだ。

出版物に限らず、吉原は歌舞伎や講談、落語などの格好の舞台となってきた。歌舞伎の人気演目『籠釣瓶花街酔醒〈かごつるべさとのえいざめ〉』もその一つである。概要を紹介しよう。

佐野の豪商・次郎左衛門は、初めて吉原遊廓を訪れた際、花魁〈おいらん〉道中に遭遇する。次郎左衛門はこのとき自分に微笑みかけた兵庫屋の八ツ橋に一目惚れしてしまう。以後、江戸に来るたび八ツ橋のもとに通うようになる。次郎左衛門は醜男だったが、派手に遊ぶ上客だったので、兵庫屋や八ツ橋も大歓迎だった。やがて次郎左衛門は、八ツ橋を身請けすることに決める。彼女には繁山栄之丞〈しげやまえいのじょう〉という浪人の間夫(恋人)がいたが、金持ちの妾になるのは悪い話ではない。旦那が来ないときに間夫と会えばいいからだ。ところが、悪党にそそのかされた栄之丞が「次郎左衛門と手を切れ」と八ツ橋に迫ってきた。

悩んだ彼女だが、ついに「愛想が尽きた。もう私のところに来ないで」とはっきり次郎左衛門に告げてしまう。数カ月後、久しぶりに吉原に顔を見せた次郎左衛門は、以前同様、散財して大尽遊びを始める。八ツ橋は前回の非礼を詫びたが、次郎左衛門は機嫌よく八ツ橋にどんどん酒をすすめ、もう吞めないと断ると「この世の別れだ。吞んでくれよ」と言うや、妖刀・籠釣瓶を抜いて彼女を一刀のもとに斬り殺し、「この籠釣瓶はよく切れるなあ」とつぶやいたのだった。

この『籠釣瓶花街酔醒』は、講談『新吉原百人斬』がネタ元になっている。村正作の妖刀を手にしておかしくなった次郎左衛門が、八ツ橋を殺害したうえ、周りの人々を手当たり次第に斬り殺すという話だ。『新吉原百人斬』は、実際に起きた事件から着想を得たといわれている。

興味をもった私は、幕府の判例集を調べてみたが、該当の事件を発見できなかった。事件に関する最古の記録は、吉原の名主・庄司勝富〈しょうじかつとみ〉が著した『洞房語園〈ぼうぼうごえん〉』である。享保5年(1720)に成立した書だが、後世の人々が転写を重ねていくうちに増補記事も加わって多くの異本が生まれた。その一つ、『増補洞房語園』(楠瀬恂〈くすせじゅん〉編『随筆文学選集第五』書斎社所収)から実際の事件を紹介しよう。

同書では、次郎左衛門は商人ではなく「百姓」とあり、八ツ橋も花魁ではなく単に「女郎」と記されている。次郎左衛門は、大兵庫屋(妓楼)が抱える八ツ橋のもとに通っていたが、間夫をもつ八ツ橋から毎回冷たくあしらわれていた。あるとき次郎左衛門が登楼すると、ちょうど八ツ橋は間夫と会っており、次郎左衛門を見て不快な表情を浮かべたのである。

立腹した次郎左衛門は、妓楼から茶屋・立花屋へと戻ってしまった。

間夫と一晩を過ごした八ツ橋は、明け方に大門口(吉原唯一の出入口)で彼を見送ると、帰りがけに立花屋へ立ち寄り、次郎左衛門のその後の様子を尋ねた。すると、まだ立花屋の2階にいるというではないか。そこで彼女は店の階段を上がり、途中で次郎左衛門に声をかけた。『洞房語園』によれば「其詞〈ことば〉聞悪かりけん、次郎左衛門ハ腹にすへ兼〈か〉ね」とあるので、小馬鹿にすることを言ったのだろう。逆上した次郎左衛門は、脇差を抜いて八ツ橋の首を切り落としたのだ。

当然大騒ぎになり、人々が2階に上がって捕まえようとするが、次郎左衛門は窓から屋根に上り、屋根伝いにあちこち逃げ回った。機転を利かせた大門会所の四郎兵衛が大量の水を屋根へ撒いたので、次郎左衛門は足をすべらせて転落、取り押さえられたのである。屋根伝いに次郞左衛門が逃げ回ったことで吉原中の大騒動となり、江戸で噂が広まったことから、講釈師がおもしろおかしく事件を肉付けして講釈のネタとして披露、それが好評だとみるや、すぐに歌舞伎の演目に取り入れられたというわけだ。殺された八ツ橋には気の毒だが、陳腐な事件も巧みな脚色を加え、心を揺さぶる名作に変えてしまうとは、改めて江戸のエンタメ世界は大したものだと思う。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。
多摩大学客員教授。早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『日本史の新常識』出演のほか、著書に『逆転した日本史』(扶桑社)

(ノジュール2024年12月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)

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