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[エッセイ]旅の記憶 vol.76

滞在者が旅行を楽しめるまでの四十年

冲方 丁

私が「旅」と聞いて連想するのは幼少期の生活そのもの。エンジニアだった父の仕事の都合で、しょっちゅう住み処が変わりました。小学校だけで六回も転校したものですから、住むというより滞在するという感覚です。海外生活も、シンガポールとネパールの二つの国で経験しました。

居住を知ったのは中学二年生の夏、父が癌で亡くなってのちのこと。母と子ども二人で、父が遺した埼玉の家に住み、初めて「庭の木が育つ」ということを経験しました。それまでは木が大きく育つほど長く住んだためしがなかったのです。

以来、私は、二つの感覚とともに生きるようになりました。居住と、滞在です。

居住は、絶対的で、永続的です。居心地良く住もうとすると、誰でも独自の様式を築くことになります。よそと比べず、経済的価値も関係がない。人様がどう言おうと自分にとって最も居心地が良く、しかもそれが失われるなどとは思わない。

滞在は、相対的で、一時的です。その場の様式に従い、常により良い条件を求め、経済的な価値がつきまとう。いずれ住み処を手放すとき、どれほど価値が保たれたかが問題になる。

私の場合、滞在の感覚しかなかったものですから、あとから居住の感覚が現れ、大いに戸惑いました。ひと頃など、居住する人々は、よそに興味がなく、今あるものが失われるという想像が働かず、現実を無視しており、自分はそうはならない、などと考えたものです。

とはいえ滞在も、一時的なものばかりではない。ある思い出深い瞬間は、その後も心にとどまる。仮初めのものを、永久なるものと感じる豊かさが、人を育てる。

そう気づいて初めて、旅行というものを楽しめるようになったのです。

滞在者にとって、未知の場所へ赴くのはひと仕事です。新たなルールを把握し、安全を確保し、可能な限り心身や財産の消耗を防ぐ。楽しむ前にすべきことが山のようにある。

しかし居住者は、真っ先に未知を楽しむ。かねて聞く噂通りか確かめ、そうか否かにかかわらず思い出ととらえる。疲れ切るまでうろつき、たまにはいいじゃないかと散財する。そして、いろいろな記憶を抱いて、住み処に戻る。

四十路に入り、やっとこれができた。そして改めて幼少期を思い返し、この先も失われることなく心に残るものの豊かさに気づかされた。そのとき訪れた、「ああ、生きるって楽しい」という感覚を、どうか忘れないでくれと己自身に願うばかりです。


イラスト:サカモトセイジ

冲方 丁〈うぶかた とう〉
小説家。1977年岐阜県生まれ。幼少期をシンガポール、ネパールで過ごし、14歳で帰国。大学在学中に『黒い季節』で作家デビュー。ゲームシナリオやマンガ・アニメ制作の分野でも活躍。主な著書は、『マルドゥック・スクランブル』(日本SF大賞)『天地明察』(吉川英治文学新人賞)『光圀伝』(山田風太郎賞)など。

(ノジュール2019年4月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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