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[奈良県]飛鳥 藤原

“日本のふるさと”と大和三山の物語

文:中島史子 写真:宮田清彦

万葉集の時代。都が置かれた大和(現在の奈良県)は、まさに和歌の聖地でした。
巻頭を飾る雄略天皇の歌から、飛鳥宮、藤原京とかつての栄華を巡る旅へ。
遥か遠い昔の情景を思い描きながら、エッセイストの中島史子さんが“日本のふるさと”を歩きます。


万葉集の巻頭を飾る、雄略天皇の妻問い歌
籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち
この岡に 菜摘ます児
家告らせ 名告らさね そらみつ
大和の国は おしなべて
我こそ居れ しきなべて 我こそいませ
我こそば 告らめ 家をも名をも

雄略天皇(巻一の一)
【現代語訳】
素敵な籠と、良いへらを持って、
この岡で若菜を摘む乙女よ。
どこに住んでいるの、名前は何。名乗ってくださいよ。私は誰かって。
私はね大和の国をことごとく治めて、全てを支配しているのだよ。
私から告げよう、家だって名前だって。

全20巻、4516首の歌を収録する万葉集の巻頭は雄略〈ゆうりゃく〉天皇の歌。倭の五王の一人として、古代の代表的な帝王として知られる第21代天皇の古詩である。5世紀、古墳時代に生きた天皇による春の賀歌。場所は初瀬〈はつせ〉、登場するのは天皇と乙女である。古代、家や名前を問うのは求婚そのもの。春、萌え出した若菜の中で芽生える恋の気配か。万葉集は、こんなときめきから始まるのだ。

桜井市黒崎にある白山〈はくさん〉神社のあたりは、天皇の宮があったと伝えられる。境内には歌碑と桜井市出身の文芸家だった保田輿重郎〈やすだよじゅうろう〉の筆になる「万葉集発燿讃仰〈はつようさんぎょう〉之地」と刻まれた石碑が立つ。周囲を見渡しても特別な景色はないが、この歌が詠まれた故地となれば話は別。万の言の葉〈よろずのことのは〉を収録する万葉集の始まりの地へ歌一首があれば、心は古代へと誘われる。単なる活字だった歌が生き生きと眼前に立ち現われるのだ。天皇も乙女も、春の風さえも。

日本初の都城「藤原京」は
平城京・平安京を凌いだ
大和三山〈やまとさんざん〉のほぼ中央に造られた藤原京は、日本最古の本格的都城。北に耳成山〈みみなしやま〉、西に畝傍山〈うねびやま〉、東に天香久山〈あまのかぐやま〉を望む立地である。694年(持統8)から710年(和銅3)に平城京へ遷都するまで、持統〈じとう〉・文武〈もんむ〉・元明〈げんめい〉天皇3代16年間、都が置かれた。先進国であった唐を模した条坊制〈じょうぼうせい〉を取り入れ、街路は碁盤の目に整えられ、屋根は瓦で葺かれた。のちの平城京や平安京をも凌ぐ規模だったという。

敷地内を歩いていると、「奈良文化財研究所」と書かれたテントがあり、数人の人が働いていた。宮殿のあった場所を尋ねると、「あの叢〈くさむら〉のところですよ」と日焼けした笑顔で指をさす。この辺りは現在も発掘中だという。都を造営した人、捨てた人、千年を経て発掘する人……。長い人の営みがここにはあるのだ。

天武〈てんむ〉天皇は計画した都の完成を見ることなく病に倒れたが、この大事業を成し遂げたのはその妻の持統天皇。

国家を統べるための大宝律令を制定、「日本」という国号を使ったのもこの都から出発した遣唐使である。最愛の夫を亡くした持統天皇は悲しみや苦悩を胸に納めて、国家の体制をまとめていくのだ。

(ノジュール2019年7月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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