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こだわり1万円宿 第42回

旅ライターの斎藤潤さんおすすめの、一度は泊まってみたい宿を
「予算1万円」に厳選して毎月1宿ご紹介します。

長野県

民宿出口屋

現役マタギの主人が営む「くまの話とうまい水」の宿

運がよければ
熊肉料理も堪能できる
豪雪地帯の秘境秋山郷を新潟側から県境を越えて長野に入ると、最初の集落が宿を予約していた小赤沢だった。道路の山側の斜面に、集落が広がっている。

小赤沢のバス停で下車。移動手段が徒歩だけの時代は、本当に大変だっただろう。そう思いつつ急坂を5分ほど登ると、天を鋭く突く屋根の家があった。看板に「くまの話とうまい水・民宿出口屋」とある。熊と水が売りとは面白い。

食堂兼居間のような広間で、まずお茶を一服。部屋の片隅に、大きな熊の毛皮が敷いてある。横たわると大人の体がすっぽり隠れるほど。130キロほどのオスの熊で、この大きさの冬眠中の熊の胆なら100万円くらいするという。

獲物の解体は、里へ降ろしてから。「肉質は落ちるが、熊の胆が本物であることを証明するためです」

と、主人の福原和人さん。現役のマタギで今も猟に出るが、仲間は週末ハンターが多く、ほとんど独りで行くので、今期はまだ熊を獲っていない。「熊の肉を、ご馳走したかったが……」

ご先祖は、マタギの本場秋田の阿仁の出身。六代前にやってきて、そのまま居ついてしまった。ここでは槍で熊狩りをしていた当時、ハイテクの火縄銃を持ち込んだので、歓迎されたのだ。

和人さんは、阿仁を訪ねて、親戚筋に当たる人を探したこともあったが、会うことはできなかったという。

福原さんなのになぜ出口屋か聞いたところ、敷地内に大きな泉(水の出口)があるので、そう呼ばれていたから。

贅沢な山の恵みと
野沢菜の古漬けに舌鼓
楽しみにしていた夕餉のご馳走は、まず特製の味噌を詰めて焼いたイワナ。塩焼き、刺身、素揚げなどのイワナは知っていたが、ホイル焼きときたか。何種類かの薬味の入った味噌とイワナがうまくマッチして、するすると胃袋に吸い込まれていく。川魚のにおいもなく、魚肉のほのかな甘みが豊かに広がり、満足。

鹿肉のチャーシュー仕立て、ブナハリタケとゼンマイのきんぴら風、ウルイのぬた、特製ソースをかけたイノシシ肉の鉄板焼きハンバーグ、みっちりと豆の味が詰まった冷奴、ヒメタケなどの煮物。

別注したシナノユキマスの半透明な刺身は、爽やかながら深い旨みを感じ、それでいて水のような新鮮さ。

ナメコがのったシンプルな茶碗蒸しには、ギンナンや小エビも潜んでいる。

揚げたてが出てきた塩でいただく天ぷらは、カボチャ、よもぎ、マイタケ、菜の花。とどめは、刻んだ古漬け野沢菜のかき揚げで、箸が止まらない。漬物にこんな食べ方があったとは。

「少し酸味が出てきた方が好きです」

と言いながら、女将の桂子さんがべっこう色の野沢菜をもってきた。いくら食べても食べ飽きない味わいだった。

丸12年続いた旅先で出会った佳宿たちの連載は、今回が最後となります。長年のご愛読、ありがとうございました。

さいとうじゅん●1954年岩手県生まれ。ライター。テーマは島、旅、食など。
おもな著書に『日本の島 産業・戦争遺産』、『日本《島旅》紀行』、『島ー瀬戸内海をあるく』(第1〜第3集)、『ニッポン島遺産』、『瀬戸内海島旅入門』などがある。

(ノジュール2019年9月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)