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河合 敦の日本史のウラ話 第1回

日本史がターニングポイントを迎える時、綺羅星の如く現れる、偉人、賢人、豪傑、美女たち……。
誰もが知っている歴史事件とその英雄たちの背景にある、教科書が教えないウラ話を、歴史家・河合 敦さんがご紹介します。

龍馬の妻は
本当に魅力的だったのか?


イラスト: 太田大輔

京都。地下鉄東西線東山駅から地上に出ると、三条通りをひっきりなしに車が行き交っている。その通りを右手に折れ、歩道に沿って少し歩くと小さな石橋が見えてくる。橋下を流れる清流は、祗園から流れてくる白川である。岸辺には柳樹の葉が風に揺れ、古都の風情がにじみ出ている。『坂本龍馬お龍「結婚式場」跡』――橋の先に見慣れない一基の石碑が立っていた。京都は長年政治の中心だったから歴史にまつわる碑が多いが、調べてみると、この碑は10年ほど前に立てられたようで、私も最近までその存在を知らなかった。今回はこの石碑の主役の1人、坂本龍馬の妻・お龍〈りょう〉(楢崎龍)について書きたい。

かつて、この一帯は青蓮院〈しょうれんいん〉の塔頭〈たっちゅう〉・金蔵寺〈こんぞうじ〉があり、「元治元年(1864)に、この寺で龍馬と内々で祝言をあげた」とお龍が後年に回想したことから、この碑が建てられたそうだ。

慶応2年(1866)1月23日、京都で薩長同盟を成立させた龍馬は、定宿にしている伏見の寺田屋に戻った。ところが翌日未明、伏見奉行所の役人衆が龍馬を捕らえようと旅籠を包囲したのである。このとき寺田屋に住み込んでいたお龍は、入浴中に異変に気が付き、裸のまま二階へと駆け上がり、夫に事態を伝えたので、龍馬は敵に襲撃されながらもどうにか逃げのびることができた。

だから後日、龍馬は姉の乙女〈おとめ〉に「此龍女(お龍)がおればこそ、龍馬の命は助かりたり」と手紙にしたためている。このお龍という女、度胸のすわり方が尋常ではない。寺田屋事件では、追っ手が二階に上がってきたとき、龍馬が戦いやすいように部屋の襖を次々とはずし始めた。龍馬がたしなめるとその行動をやめたが、今度は乱闘現場に居座って見物をはじめた。そして、龍馬が一発短銃をぶっ放したとき、音に驚いて一人がのけぞり、それに押されて一人倒れ、次々と将棋倒しになった。その様を見たお龍は、腹を抱えて笑ったという。ここまで来ると常軌を逸している気もするが、お龍は父親を早くに失い、母と妹や弟たちの面倒を見てきた。だから、同じような修羅場は幾度も経験済みだったのだろう。

たとえば、悪党が16歳の妹をだまして女郎として大坂に売り飛ばしたことがあった。するとお龍は、妹を取り返すため、一人で悪党のアジトへ乗り込んでいったのだ。

龍馬の手紙によれば、「悪者腕に彫り物(刺青)したるを出しかけ、べらぼう口にて脅しかけしに、〜中略〜 悪者曰く『女の奴、殺すぞ』と言いけれバ、女曰く『殺せ殺せ、殺されニはるばる大坂ニくだりておる。夫〈そ〉れハ面白い、殺せ殺せ』と言いけるニ、さすがに殺すというわけニハまいらず、とうとう其の妹受け取り、京の方へ連れ帰りたり」。

驚くべきことにお龍は、脅しに動じず逆に悪党たちを殴りつけ、妹を取り返したというのだ。そんな彼女の度胸に、龍馬は惹かれたのかもしれない。

慶応3年(1867)11月15日、京都で龍馬は暗殺された。ここに、三ヵ月という二人の短い結婚生活は終わりを告げ、お龍は土佐の坂本家に引き取られた。が、やがて折り合いが悪くなり、追い出されてしまう。不憫に思った龍馬の師・勝海舟〈かつかいしゅう〉の口利きで、お龍は横須賀の料亭で働くことになった。そんな彼女を見初めたのが、商人の西村松兵衛〈にしむらまつべえ〉だった。お龍も再婚に同意して名を西村ツルと改めた。まだ35歳、人生を一からやり直そうと考えたのだろう。

しかし、龍馬という偉大な男を知ってしまった彼女は、松兵衛では物足りなかったようだ。次第に龍馬との思い出ばかりを語るようになり、浴びるように酒を飲み、生活がすさんでいった。そして明治39年(1906)、体調を崩して66歳の生涯を終えた。

お龍の墓は神奈川県横須賀市の信楽寺〈しんぎょうじ〉にある。その墓石の正面には「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれている。30年間も寄り添いながら、お龍はついに西村松兵衛の妻になりきれなかったのである。

ただ、驚くべきは、墓石を建てた賛助人のなかに松兵衛が名を連ねていることだろう。きっと彼は「私は、あの偉大な龍馬の妻なのだ」というお龍のプライドを最大限尊重してやったのだろう。松兵衛は心からお龍のことを愛していたのだ。そして、龍馬以上に心の広い人だったのである。それが、この墓石からはひしひしと伝わってくる。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『目からウロコの日本史』『世界一受けたい日本史の授業』『逆転した日本史』など。多摩大学客員教授。

(ノジュール2019年10月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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