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河合 敦の日本史のウラ話 第2回

日本史がターニングポイントを迎える時、綺羅星の如く現れる、偉人、賢人、豪傑、美女たち……。
誰もが知っている歴史事件とその英雄たちの背景にある、教科書が教えないウラ話を、歴史家・河合 敦さんがご紹介します。

“恋する女〟“働く女〟
情熱歌人・与謝野晶子


イラスト: 太田大輔

百舌鳥〈もず〉古墳群が世界遺産に登録されたというので、大阪府堺市にある仁徳天皇陵古墳〈にんとくてんのうりょう〉(大山〈だいせん〉古墳)を訪れてみた。当たり前の話だが、拝所の奥は単なる森になっているので、少々がっかりしながら古墳を自転車で一周したが、改めてその規模の大きさに驚かされた。この堺の町は、キリスト教宣教師から「ベニスのようだ」と表現された水の都で、その港は日明・南蛮貿易で富を得た豪商たちが治めていたが、戦時中に五度も空襲にあい、かつての面影は残っていない。

駅の近くまで戻ってきたとき、クリーム色と緑色に色分けされた愛らしい路面電車が目の前を通った。阪堺電気軌道だ。電車が通り過ぎたとき、その先の歩道に薄紫色の花壇のようなものが見えた。そこに立つ石碑には「与謝野晶子〈よさのあきこ〉生家の跡」と書かれていた。

女流歌人・与謝野晶子は、老舗の菓子商「駿河〈するが〉屋」の三女として、ここ(堺市)甲斐町で生まれた。少女の頃から文学に興味をもち、家業を手伝いながら女学校に通い、18歳頃から近所の歌会に参加したり、与謝野鉄幹〈てっかん〉が主宰する雑誌『明星』に短歌を発表したりするようになった。明治33年8月に鉄幹が大阪北浜に来たおり、歌仲間の河野鉄南〈こうのてつなん〉に誘われてその宿舎を訪ねたが、彼に会った瞬間、晶子は恋に落ちた。当時、鉄幹には妻子がいたが、こらえ切れなくなった晶子は、なんと家族の反対を押しきって堺の自宅を飛び出し、東京の鉄幹のもとへ行ってしまった。いまでいう“押しかけ女房”“略奪愛”! なんとも情熱的な晶子は、こうして翌明治34年に鉄幹と結婚し、同年、処女歌集『みだれ髪』を鉄幹の東京新詩社から刊行した。

やは肌の あつき血汐に ふれも見で 

さびしからずや 道を説く君

当時、女性が性愛について歌うのは前代未聞のことで、彼女の登場は文壇に衝撃を与え、多くの若者に共感をもって受け入れられた。このため彼女の歌が載る『明星』も一気に部数を伸ばした。ところが、創刊五年目になると売れ行きにも翳りが見え始め、晶子の歌集から金銭を補填しなければ発行できない状態になり、明治41年11月、百号を最後に廃刊となった。

鉄幹は意欲を失い、書斎で昼寝ばかりする生活を送るようになった。心を痛めた晶子は夫を励ますために、彼の念願であるヨーロッパ留学を実現させてやりたいと考え、長編小説、古典の翻訳、随筆など、あらゆるジャンルの作品を書いて資金を貯めた。この時期、なんと童話まで執筆している。また、見栄を捨てて、自分の歌を屏風や短冊にして売りさばいた。こうして明治44年、晶子は夫をヨーロッパへと送り出したのである。

与謝野夫妻は十一人もの子に恵まれたが、晶子は夫と子供の世話をしながら寝る間も惜しんで精力的に執筆し、一家を経済的に支えた。おかげで鉄幹は金銭の心配をせずに好きな語源の研究に没頭、最高の晩年を過ごした。こうした晶子の生き方を知ると、夫と子供に尽くす前近代的な女性像が浮かんでくるが、それは間違いだ。晶子は次のように語る。「『女は結婚すべきものだ』というような役に立たない旧式な概論に動される事なく、結婚もしよう、しかしそれが不可能なら、他にいくらも女子の天分を発揮すべき文明の職能がある。結婚のみが自分の全部でないという見識から、境遇と自分の個性とに順じて思い思いの進路を開き、いろいろに立派な変り物の婦人が多く出て来られる事を望みます」(『婦人の鑑〈かがみ〉』)

このように、当時としては進歩的な女性論をもち、私娼の廃止を唱え、恋愛結婚を勧め、女性参政権の獲得運動にも参加。女は経済力をもつことで男の保護下から抜け出し、独立自営すべきだと声高に主張し、そうしたメッセージを文学に託して女たちを叱咤した。

愛する鉄幹が亡くなって7年後の昭和17年5月29日、晶子は64歳の生涯を閉じた。遺体は、東京武蔵野の多磨霊園に葬られた。晶子の墓石には、

今日もまた すぎし昔となりたらば 

並びて寝ねん 西の武蔵野

と刻まれている。鉄幹が死没したときに詠んだ歌だ。その希望の通り、晶子の墓の隣には鉄幹の墓があり、いまも夫婦仲良く並んで静かに眠っているのである。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『目からウロコの日本史』『世界一受けたい日本史の授業』『逆転した日本史』など。多摩大学客員教授。

(ノジュール2019年11月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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