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河合 敦の日本史のウラ話 第6回

日本史がターニングポイントを迎える時、綺羅星の如く現れる、偉人、賢人、豪傑、美女たち……。
誰もが知っている歴史事件とその英雄たちの背景にある、教科書が教えないウラ話を、歴史家・河合 敦さんがご紹介します。

1万円札の新しい〝顔〟
日本資本主義の父・渋沢栄一


イラスト: 太田大輔

埼玉県・深谷〈ふかや〉市出身の実業家・渋沢栄一〈しぶさわえいいち〉がいま注目を集めている。2024年から発行される新1万円札の肖像に決まり、さらに来年のNHK大河ドラマ『青天を衝〈つ〉け』の主人公にも決定したからだ。

よく知られているように、渋沢は生涯に500社もの企業の創設や経営に関わり、「日本資本主義の父」といわれた。若い頃は過激な尊王攘夷思想にかぶれ、横浜の外国人らを皆殺しにしようと計画したこともあったが、一橋慶喜〈ひとつばしよしのぶ〉(後の15代将軍)の家臣として、慶応3年(1867)にパリ万国博覧会に参加。そのままフランス留学を経験したことで、その視野は世界を見据えるようになった。留学中に幕府は崩壊したが、帰国後、新政府の大蔵官僚に登用され、鉄道や富岡製糸場(世界遺産)の建設、国立銀行条例の制定など多くの政策を実現。政府退職後は第一国立銀行(現みずほ銀行)の頭取を手始めに、経営者として辣腕をふるうも執着せず、会社が軌道に乗るとサッと身を引いた。また「官尊民卑」の打破をとなえて経営者の地位向上をはかり、東京商法会議所(経済団体)を設立し、会頭として政府に実業界の要望を伝えて、民間の立場から日本の近代化を推し進めていった。

69歳で経営の第一線から手を引き、77歳で完全に引退したが、優雅な隠居生活とはいかず、今度は現役中から続けてきた社会事業に力を注いでいく。長年、渋沢は東京府養育院の院長として孤児の救済にあたっていたが、日本の未来は子供の教育にかかっていると信じ、東京高等商業学校、高千穂学校、岩倉鉄道学校の創立や運営を助けたり、時間を割いて自分を頼ってくる若者にできる限り会い、支援を惜しまなかったという。「自分は社会から儲けさせてもらって富豪になったのだから、その富は社会へ還元すべきだ」というのが彼の信念だったからだ。

あまり知られていない渋沢の意外な活動としては、明治神宮の創建がある。渋沢は明治天皇崩御の2日後、東京市長の阪谷芳郎〈さかたによしろう〉、東京商工会議所会頭の中野武営〈なかのたけなか〉の三人で相談し、天皇の陵墓を東京につくるための陳情を始めた。ただ、陵墓は京都に建造されることがすでに決まっていたので、天皇を祀る神社を創る運動へと舵を切る。東京の有力者に呼びかけて有志委員会を立ち上げ、西園寺公望〈さいおんじきんもち〉首相や原敬〈はらたかし〉内務大臣などの閣僚、さらには大隈重信〈おおくましげのぶ〉、山県有朋〈やまがたありとも〉、桂太郎〈かつらたろう〉など政府の実力者にも面会して協力を仰いだのである。この動きは新聞で逐一報道され、国民の関心を大いに誘った。これも、政府を動かす渋沢のマスコミ戦略だったようだ。こうして衆議院と貴族院(現参議院)で神社創建の請願が可決され、ついに政府も大正2年(1913)に神社建設を閣議決定、渋沢が提出した計画をもとに明治神宮が造られたのである。

渋沢は多くの学者を支援していたが、意欲的に彼らから新しい知識や情報を学んだ。そのひとつが、イギリス発祥の田園都市構想であった。これを知ると渋沢は、日本で初めてその構想を形にしたのだ。こうして都会への通勤に便利で、インフラの整った緑の多い郊外住宅地の分譲を開始する。それが、現在の田園調布〈でんえんちょうふ〉である。分譲開始直後に関東大震災が起こったこともあり、居住希望者が殺到した。しかしいっぽうで、大地震のために渋沢の自宅や兜町の事務所は焼失してしまった。このとき彼が一番悔やんだのは、これまで収集してきた主君・徳川慶喜の史料を失ってしまったことだった。渋沢は朝敵になった慶喜の汚名を雪ぐため、25年の月日をかけてそれらの史料を集め、大正7年(1918)に『徳川慶喜公伝全八巻』を出版していたのだ。何とも律儀な人物である。

震災後、自分が被災者であったにもかかわらず、渋沢は大震災善後会副会長、帝都復興審議会委員などをつとめ、東京の復興に全力を尽くした。そしてその復興を見届けた昭和6年11月11日、91歳の生涯を閉じた。

現在、東京駅近くの常盤橋〈ときわばし〉の裏手には、渋沢の銅像が立っている。これは昭和30年に再建された2代目で、初代は常盤橋周辺を渋沢が私財で修復したのを讃えて建立されたものだったが、太平洋戦争で供出された。「できるだけ多くの人に、できるだけ多くの幸福を与えるように行動する。それが我々の義務である」— 渋沢の言葉である。

私は像の真下に立ってその姿を仰ぎ見ながら、渋沢栄一という人が実業家という枠組みに入りきらない巨人であることを改めて実感している。新1万円札の顔として、これほどふさわしい人物はほかにいないだろう。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『目からウロコの日本史』『世界一受けたい日本史の授業』『逆転した日本史』など。多摩大学客員教授。

(ノジュール2020年3月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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