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童謡・唱歌は日本に暮らすすべての人の歌
大切に歌い継ぎたい

安田祥子 × 由紀さおり INTERVIEW

構成:武田ちよこ 写真:大河内 禎

「ノジュール」読者の中には、祖母や母をコンサートに連れていった方も多いのではないでしょうか?
安田祥子さん・由紀さおりさん姉妹は日本の童謡・唱歌を大切に歌い継ぎ、お2人の童謡コンサートは、じつに34年にわたって全国各地で続けられています。
歌い続ける童謡・唱歌の魅力、その力とは?

ひばり児童合唱団で
童謡と出会う

安田祥子(以下、安田) あれは私が小学4年生のとき。学校の講堂で児童合唱団が、衣装をつけて歌の稽古をしているのを見たんです。食い入るように見入っていた私は、家に帰ってそのことを話すと、両親に「やってみる?」と聞かれ、私は「やるー!」と答えて。それで「ひばり児童合唱団」に入ったんです。

由紀さおり(以下、由紀) そのとき妹の私もくっついて行って、一緒にお世話になったのよね。その後、お姉ちゃんはクラシックへと進み、私は童謡歌手として活動して、高1くらいまでレコーディングしていました。

安田 あの頃は川田姉妹や小鳩くるみさんなど、童謡歌手がたくさんいた時代。レコード童謡といって、新しい童謡がたくさん生まれて、それをレコーディングしていたのね。

由紀 そもそもの始まりは、文部省が学校教育に音楽を取り入れようと、最初の「小学唱歌集」を出したのが明治14年のこと。でも、最初の唱歌「蝶々」や「蛍の光」は、外国の曲に日本の詞をつけたものが多かった。その後、大正7年に「赤い鳥」が創刊されて、日本の作家たちが子どもたちに自分たちの詞とメロディーで音楽を作ったのが童謡の始まり。今から102年前のことです。

安田 その頃は北原白秋の「赤い鳥小鳥」や西条八十〈さいじょうやそ〉の「かなりや」(ともに作曲は成田為三〈なりたためぞう〉)、清水かつら作詞・弘田竜太郎〈ひろたりゅうたろう〉作曲の「靴が鳴る」「叱られて」など、今も歌い継がれるいい曲が次々に生まれました。

迷いのなかから
原点の童謡へ

由紀 私たちが今のような日本の歌、童謡・唱歌のコンサートを開くようになったのは1986年。私は「夜明けのスキャット」のヒットから15年連続出場していた紅白歌合戦に落選して、このまま歌っていていいのかと悩んでいた時期でもありました。

安田 東京藝大でクラシックを学んだ私も、その頃、ニューヨークのジュリアード音楽院に行ったことがターニングポイントになったの。私のような声は世界中どこにでもいる。私の声はオペラには向かないと思い知らされると同時に、日本の歌を勉強していないことに気づいたの。

由紀 私の15周年コンサートを開くとき、私たちの歌の原点は何かと考えて、思い浮かんだのが童謡だった。それで、このとき童謡をメドレーで歌ったら、お客さまからの反響がすごくて。

安田 そこから2人の童謡コンサート「あの時、この歌」が本格的にスタートしたのよね。以来、コンサートはもう2500回を超えているんじゃないかしら。

由紀 海外にも呼ばれたわね。サンフランシスコやニューヨーク、シドニーやパリ、ロンドンでも歌った。海外に住んでいる日系の方々は、「椰子の実」や「故郷」「赤とんぼ」のメロディにグッとくるようでした。

(ノジュール2020年5月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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