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河合 敦の日本史のウラ話 第8回

日本史がターニングポイントを迎える時、綺羅星の如く現れる、偉人、賢人、豪傑、美女たち……。
誰もが知っている歴史事件とその英雄たちの背景にある、教科書が教えないウラ話を、歴史家・河合 敦さんがご紹介します。

伝染病との闘いに打ち勝った
北里柴三郎と福沢諭吉の友情


イラスト: 太田大輔

新型肺炎が猛威をふるい、世界中で多数の犠牲者を出している。しかしある意味、人類の歴史は伝染病との闘いの歴史でもあった。今月は、そんな伝染病の予防に生涯を捧げた医学者・北里柴三郎〈きたさとしばさぶろう〉とそれを助けた福沢諭吉〈ふくざわゆきち〉の友情物語を紹介したい。

熊本県出身の北里は、国費でドイツに留学し、結核菌を発見したコッホに師事して破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功した人物だ。功績を知ったケンブリッジ大学などは、北里を招聘しようとしたが、「祖国の伝染病予防に寄与したい」と招きを断って帰国。熱い想いを胸に、日本で研究を開始する。

ところが、彼を待っていたのは失望だった。北里が伝染病研究所の設置を求めても、足並みが揃わない政府の動きは鈍く、なかなか実現の見込みが立たない。途方にくれていた北里を救ったのが、福沢諭吉であった。

福沢は北里の志を知ると、大いに賛同して私財を提供、さらに政府にかけあい、設立した研究所を研究に専念しやすい内務省の付属にしてくれた。また、北里が結核療養施設をつくる際にも私財を差し出し、土筆〈つくし〉ヶ岡養生園と命名、事務長として門下生の田端重晟〈たばたしげあき〉を派遣してくれたのだ。

軌道に乗った北里の研究を見守っていた福沢のこんなエピソードがある。養生園では、患者のために牛を飼育し搾乳をしていたが、福沢宅にも毎日牛乳が届けられた。ある日、牛乳瓶に着いていた汚れを見つけた福沢は、田端宛に次のような手紙を送った。「おそらく園内の薬局は怠慢で、医師の診察も不親切に違いない。なぜなら、この瓶がすべてを物語っている。これは、北里園長はじめ医師や職員の責任である。養生園が発展しているので有頂天になっているのだろう。だが、大事をなそうとする者は、細事にこそ注意を払うべきなのだ。なのに、これは一体どういうことなのか」

この頃、金に余裕ができた北里は芸者遊びに興じており、それが福沢の耳に入ったことも、この叱責につながったようだ。仰天した北里は福沢に陳謝し、その後もこの書簡を額縁に入れ、所長室に掲げて自戒とし続けた。

いずれにせよ、はっきり直言してもらえる恩人を持てたことは、北里にとって幸せだった。この件があったればこそ、北里の伝染病研究所は、赤痢菌やペスト菌の発見、コレラやジフテリアの血清療法など、めざましい成果をあげることができたのだろう。

大正3年(1914)、北里は一木喜徳郎〈いちききとくろう〉文部大臣から呼び出しを受け、「伝染病研究所を内務省から文部省の所管に移し、東大医学部の付属にする」と告げられた。時の大隈重信〈おおくましげのぶ〉内閣は、所長の北里にひと言も相談せず、行財政整理の一環として移管を決めてしまったのだ。

研究所の目的は、伝染病の原因を探求し、その予防と治療法の開発にあたること。教育を目的とする大学とは相容れない。にもかかわらず政府の都合で大学の付属にされることにがまんならなかった。怒りに震えた北里は辞意を固め、所員を集めて政府の決定を告げ、「あなたたちは前途有望な若者。進退については慎重に考え、これからも国家のため学問のため努力してほしい」と、告別の辞を送った。

ところが所員たちは皆、北里に続いて職を辞してしまう。安定した身分を惜しげもなく投げうったのである。北里の人望がよくわかる。61歳の北里は引退を考えていたが、所員の行動に勇気づけられ伝染病研究の継続を決意。これを知った弟子や仲間が多額の寄付金をよせ、翌大正4年、芝区白金三光町〈しろかねさんこうちょう〉に私設の北里研究所が産声をあげた。

維持費はチフスや麻疹、天然痘やコレラなどの予防研究、伝染病の血清やワクチンの製造・販売、講習会等でまかなった。以後、北里研究所は伝染病の予防と治療に大いに寄与し、現在も多くの人命を救い続けている。大正6年、慶応大学に医学部(医学科)が設置されると、北里は老齢にむち打って部長職を引き受けた。この折「予は福沢先生の門下では無いが、先生の恩顧を蒙〈こうむ〉ったことは門下生以上である。故に不肖報恩の一端ともならんかと、進んで此の大任を引き受けた」(宮島幹之助、高野六郎編『北里柴三郎』北里研究所)と述べている。福沢は十数年前に鬼籍に入っていたが、北里は生前の恩にきちんと報いたのである。

2024年、新札が発行され、お札の肖像が変わる。長年親しまれた福沢の姿は消えるが、代わって北里が登場する。なんだか不思議な縁〈えにし〉を感じてしまう。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『目からウロコの日本史』『世界一受けたい日本史の授業』『逆転した日本史』など。多摩大学客員教授。

(ノジュール2020年5月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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