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河合 敦の日本史のウラ話 第10回

日本史がターニングポイントを迎える時、綺羅星の如く現れる、偉人、賢人、豪傑、美女たち……。
誰もが知っている歴史事件とその英雄たちの背景にある、教科書が教えないウラ話を、歴史家・河合 敦さんがご紹介します。

甲子園中止に負けるな!
受け継ぎたい正岡子規の大志


イラスト: 太田大輔

新型コロナウイルスの影響で、春だけでなく夏の甲子園(全国高等学校野球選手権大会)も中止になってしまった。太平洋戦争で中断して以来のことだという。ニュースでは高校野球ばかりが取り上げられていたが、それだけ日本人にとって、野球というスポーツは特別な存在なのだろう。

野球を今の地位に引き上げた先人たちは、東京ドーム内の野球殿堂博物館に飾られている。殿堂入りした人物はプレーヤーが多いが、2002年に文学者が仲間入りした。明治時代に短歌と俳句の革新運動を展開した歌人・正岡子規〈まさおかしき〉である。

子規の『歌よみに与ふる書』は、「(紀〈きの〉)貫之〈つらゆき〉は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」と、長いあいだ和歌の手本とされた『古今和歌集』を「くだらぬ」と切り捨て、編者の貫之さえ「下手な歌よみ」だと断じた。また、これまで松尾芭蕉〈まつおばしょう〉を崇めてきた俳句の世界に、それを超える俳諧師として与謝蕪村〈よさぶそん〉を紹介したことも知られている。

伊予松山の出身である子規は、明治16年(1883)に16歳で上京したが、東京の叔父に「自分は政治家になるつもりだ」と言い、それを聞いた叔父が「政府の太政大臣か国会議長にでもなるのか」と戯〈たわむ〉れたとき、微笑して「しかり」と答えたという。

翌年、東京大学予備門に入学すると、「予備門ベースボール会」に所属し、海外から入ってきたばかりのベースボールに熱中するようになった。子規は投手や捕手を好んだが、ベースボールのルールはいまの野球と大きく違い、相手の打ちやすい球を投げてやるのが名投手で、捕手はマスクもつけず、ワンバウンドした球を素手で受けていた。子規は「打者」「走者」「四球」「死球」といった野球用語を訳出し、郷里の松山にベースボールを初めて伝えたといわれている。

「九つの人九つのあらそひに ベースボールの今日も暮れけり」

子規の短歌だ。この歌のとおりベースボールに明け暮れていた子規だったが、明治22年(1889)に突然喀血する。肺結核に侵されたのだ。まだ22歳だった。それでも子規はベースボールをやめようとしなかったが、翌年には体力がもたなくなり、引退を余儀なくされた。松山市立子規記念博物館には、その頃に写したユニフォーム姿の子規の写真が所蔵されている。心なしか淋しそうな顔つきだ。

ただ、病に侵されても子規という青年は、底抜けに明るかった。松山で療養していたとき、松山中学校の教師として友人の夏目漱石〈なつめそうせき〉が赴任してくると、子規は漱石の下宿先に転がり込み、多くの仲間を集めては俳句や漢詩をつくる生活を送った。いったいどちらが主人かわからない。ただ、他人の面倒見がすこぶるよく、話していて飽きない。そのうえ俳句や短歌に天才的な才能を見せたので、訪問客は増えるばかりで、数十人の弟子もできた。陰鬱な漱石さえも、この子規に魅了された。

しかし病勢は容赦なく進行し、29歳からは起き上がれなくなり、死ぬまでの数年間、子規は六畳間の蒲団のなかでの生活となった。この時期、子規は例の写真を見ながら「球及び球を打つ木を手握りてシヤツ着し見れば其時思ほゆ」と歌っている。スポーツマンだっただけに、その無念さは察するに余りある。

子規は松山から上京したとき、近代日本に大きな足跡を残したいという希望に満ちあふれていた。病に倒れたときも、文学の世界をこの手で革新したいという大志を抱いていた。しかし、もう時間は限られている。

「世間大望を抱きたるままにて、地下に葬らるる者多し。されど、われ程の大望を抱きて地下に逝く者はあらじ」

そんなふうに自嘲しつつも、子規は仲間を集めては句会を開き、文学談義に花を咲かせ、新聞『日本』に文章を書いた。最後までその意識と頭脳は覚醒していて、なんと死ぬ12時間前まで、苦しい息のなかで句をひねりつづけた。そして、仰向けに寝ながら痩せた手で筆を握り、妹に画板を持ってもらい、弟子の河かわ東ひがし碧へき梧ご桐とうに墨をつけてもらいながら、最後の句を書き終えたのである。明治35年(1902)、子規は34年の生涯を閉じた。短い人生ではあったが、子規は精一杯、己の人生を生き抜いた。そして、いまでも子規の作品は多くの人に愛され、語り継がれている。

甲子園大会の中止については、都を中心に、各地で独自大会の開催が検討されているようで、高校球児たちの熱い想いをぶつける場ができることを切に願う。強豪校の球児が甲子園中止の報を受けて涙を流していたが、どうか、その無念さをバネに飛翔してほしい。かつて子規という青年がそうしたように……。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『目からウロコの日本史』『世界一受けたい日本史の授業』『逆転した日本史』など。多摩大学客員教授。

(ノジュール2020年6月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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