河合 敦の日本史の新常識 第2回

ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
実は歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、
むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟を、歴史家・河合敦さんが解説します。

聖徳太子は本当に実在したのか?

明言できない教科書のウラ事情


イラスト: 太田大輔

聖徳太子といえば、十人の意見を一度に聞き分けられるほど聡明な人物で、皇太子になると、叔母の推古〈すいこ〉天皇を助けて摂政として政治をとり、冠位十二階や憲法十七条を制定し、遣隋〈ずい〉使の小野妹子〈おののいもこ〉を大国・隋へ派遣して対等外交を成功させた。きっとみなさんは、そんなふうに授業で学んだことだろう。ところが、いまの高校日本史の教科書には、聖徳太子は次のように記載されている。「推古天皇が新たに即位し、国際的緊張のもとで蘇我馬子〈そがのうまこ〉や推古天皇の甥の厩戸王〈うまやどのおう〉(聖徳太子)らが協力して国家組織の形成を進めた。603年には冠位十二階、翌604年には憲法十七条が定められた」(『詳説日本史B』山川出版社)

読んでいただいてわかるとおり、聖徳太子は推古天皇の単なる協力者とされ、彼が皇太子や摂政だったとは書かれていない。また、この記述を見るかぎり、冠位十二階や憲法十七条も太子の功績とは読みとれない。それどころか、そもそも聖徳太子という名前自体がカッコの中に入り、厩戸王の名称が前に来てメインとなっている。そう、かつて学校で習った聖徳太子とは、まったく別人のように書かれているのである。いったい、これはどういうことなのだろう。

じつは、聖徳太子に関する新たな学説の登場により、歴史学界で激震が起こった結果なのである。1999年、中部大学名誉教授だった大山誠一〈おおやませいいち〉氏が『〈聖徳太子〉の誕生』(吉川弘文館)を刊行した。同書の中で大山氏は、聖徳太子の実在を明確に否定したのである。

大山氏は、推古天皇の時代に厩戸という名の皇子はいたが、当時、皇太子や摂政という制度はなかったうえ、そもそも彼自身、政治の中心人物ではなかった。それを後の権力者・藤原不比等〈ふじわらのふひと〉らが『日本書紀』で聖人のように創作したのだと主張する。ちょっと信じがたい学説だが、戦前から歴史家の久米邦武〈くめくにたけ〉氏や津田左右吉〈つだそうきち〉氏などは、太子に関する史料は信憑性に乏しいと、史実としての太子の業績に疑問を投げかけていた。けれど、滝川政次郎〈たきかわまさじろう〉氏や坂本太郎氏といった歴史の大家が実在説を強くとなえ、とくに坂本氏が歴史教科書の編纂に深く関わっていたため、聖徳太子の実在説が定着したのだとされる。いずれにせよ、近年の教科書記述の大きな変化に、大山氏の説が影響を与えているのは間違いないだろう。

ただ不思議なのは、現在の小学校社会科の教科書である。以下、本文を紹介しよう。「聖徳太子は、20才で天皇の政治を助けるために摂政になると、当時大きな力を持っていた蘇我氏と力を合わせて、天皇を中心とする国づくりを始めました。太子は仏教をあつくたっとび、17条の憲法を定めて政治を行う役人の心構えを示しました。また、中国(隋)へ小野妹子を送って対等な付き合いを求め、その後も使者や留学生を送って大陸の文化を取り入れました(遣隋使)」(『新編新しい社会6上』東京書籍)

いかがだろうか。いまも聖徳太子を英雄として扱っているのだ。高校の教科書とは雲泥の差だ。これには理由がある。

文科省の学習指導要領(教育課程の規準)では、「次に掲げる人物を取り上げ、人物の働きを通して学習できるよう指導する」とし、42名の歴史上の人物をあげているが、そこに聖徳太子が含まれているのだ。だから小学校ではいまだにヒーロー扱いなのである。この矛盾を防ぐためには、小学校学習指導要領の学習すべき人物から聖徳太子を除いてしまえばいいのだが、そう簡単にいかない事情がある。

たとえば2017年2月、文科省は、次の新しい学習指導要領では聖徳太子の表記について、中学校では「厩戸王(聖徳太子)」に、小学校では「聖徳太子(厩戸王)」とすると発表した。近年の研究成果を少しでも盛り込もうとしたのだろう。

ところが、国民にパブリック・コメント(意見募集)を求めたところ、この変更に「国民的な英雄を抹殺するものだ」と批判が殺到したのである。国会でもこの問題が議論されたので、記憶に残っている方もいるかもしれない。結局、文科省は先の変更を撤回し、小中ともに「聖徳太子」の表記に統一することにした(一部の教科書では、厩戸皇子の記載がある)。

そんなわけで、いまでも小中学生は歴史の授業で聖徳太子を英雄だと学び、高校生になってじつは脇役だったことを知るのである。なんとも奇妙な話である。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『目からウロコの日本史』『世界一受けたい日本史の授業』『逆転した日本史』など。多摩大学客員教授。

(ノジュール2020年11月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
ご注文はこちら