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河合 敦の日本史の新常識 第3回

ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
実は歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、
むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟を、歴史家・河合敦さんが解説します。

その偉人は本当は誰なのか?

描かれた肖像のウソ・ホント


イラスト: 太田大輔

歴史の資料でよく論争になるのが、肖像画の真偽についてである。そこに描かれた人物は本当にその偉人なのか。そもそも描かれた肖像自体が数百年前のもので、描いた当人はすでにこの世にいないわけだから、周辺資料から真実を突き止めるしかない。

前回、教科書における聖徳太子の話について記した。小学校の教科書では昔と変わらず主役なのに、高校になると歴史研究の成果が反映されて脇役になる。そんな聖徳太子も肖像の真偽が疑問視されているひとり。かつては紙幣にも描かれ、戦前も含めると七回もお札の顔になっているあのお馴染みの肖像。モデルになったのは、かつて法隆寺に所蔵されていた「唐本御影〈とうほんみえい〉」である。ただ、その画(3人が描かれている)の真ん中の人物が聖徳太子だというのはお寺の伝承に過ぎず、別人説もある。たとえ本人だったとしても、当人が亡くなってから少なくとも百年以上経ってから描かれた肖像なので、写真がなかった当時、実物とはかけ離れている可能性が高い。

鎌倉幕府を開いた源頼朝と聞くと、目元のきりっとした端正な「絹本著色伝源頼朝像〈けんぽんちゃくしょくでんみなもとのよりともぞう〉」(京都の神護寺〈じんごじ〉所蔵)を思い浮かべる人が多いはず。なぜなら、この肖像がかつて教科書に掲載されていたからだ。ところが本人ではない可能性が出てきたため、この肖像は現在の日本史の教科書からは消えてしまった。きっかけをつくったのは、美術史学者の米倉迪夫〈よねくらみちお〉氏である。米倉氏は、頼朝像の眼や口、耳などの描き方から肖像は14世紀の作品と考え、1345年の「足利直義〈あしかがただよし〉願文」(京都御所の東山御文庫)に「(神護寺に)征夷大将軍(兄の足利尊氏〈あしかがたかうじ〉)ならびに予(足利直義)の影像を図き、以てこれを安置す」とあることを根拠に、頼朝の肖像とされてきたのは、じつは足利直義だったと主張したのである。

確かに肖像画には、像主(モデルの人物)の名は記されておらず、誰を描いたか明らかではない。なのに頼朝像とされたのは、『神護寺略記』(14世紀半ばに成立)に「神護寺に藤原隆信〈ふじわらのたかのぶ〉が描いた頼朝の肖像が存在する」と記されており、江戸時代になって、この画が頼朝だと考えられるようになったから。ちなみに近年は、妻の北条政子〈ほうじょうまさこ〉が信濃善光寺へ寄進した甲斐善光寺(甲府市)の木像を、頼朝像として紹介する教科書も出てきた。

初めて知った方は驚いたと思うが、じつは室町幕府を開いた足利尊氏の肖像も別人説が有力になり、いまや教科書から消えてしまっているのだ。そう、黒い馬にまたがって抜き身の刀を背負い、髪の毛を振り乱したあの勇ましい肖像だ。

この画は、京都国立博物館所蔵の『守屋家本騎馬武者像』で、重要文化財に指定されている。ただ、研究者からは戦前から怪しいと言われてきた。美術史研究家の谷信一〈たにしんいち〉氏は、尊氏の愛馬は栗毛だという記録があるのに肖像画の馬は黒毛。髪を乱し抜き身の刀を持ち、束ねている矢が折れている姿は将軍としてふさわしくないと主張した。

戦後、中世史の大家・荻野三七彦〈おぎのみなひこ〉氏も、画中の尊氏の頭上に息子・義詮〈よしあきら〉の花押があるのは非常に無礼なことなので、肖像の主は尊氏ではなく、細川頼之〈ほそかわよりゆき〉(義詮の重臣)ではないかと論じた。さらに歴史研究家の藤本正行〈ふじもとまさゆき〉氏は、像主の馬具と太刀の目貫〈めぬき〉の家紋に着目した。足利氏の家紋は「二つ引両〈ひきりょう〉」なのに、「輪違〈わちがい〉」紋が付いている。これは尊氏の執事(重臣)をつとめた高師直〈こうのもろなお〉の家紋なので、像主を師直だと断定したのである。

対して、像主を高師詮〈こうのもろあきら〉(師直の子)だと主張したのは、歴史学者の黒田日出男〈くろだひでお〉氏であった。師詮は、南朝の軍勢が京都に乱入してきたとき、防戦につとめたが大敗を喫し、馬上で切腹するという壮絶な死に方をしたと伝えられる。つまり、このときの場面を高家の子孫や家臣たちが絵師に描かせ、年忌法要に供したのではないかと、黒田氏は推測する。像主の頭上に義詮の花押があるのは、高家の関係者が師詮の十七回忌の際、将軍である義詮に書いてもらったのだと論じた。

以上述べたように、聖徳太子、源頼朝、足利尊氏といった、誰もが知っている有名な肖像画が、研究の進展によって日本史の教科書から消えつつあるのである。最終的な真偽は分からないが、いままで肖像画のイメージとともに覚えていた歴史の偉人たちが、じつは別人だった、というのはちょっと残念なことではある。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『目からウロコの日本史』『世界一受けたい日本史の授業』『逆転した日本史』など。多摩大学客員教授。

(ノジュール2020年12月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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