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都、京都の復活を牽引した疏水流れる文化の殿堂

岡崎【京都府】

文=戸塚江里子 写真=ハリー中西

昨年リニューアルオープンした京都市京セラ美術館を中心に、思い思いの休日を過ごす人で賑わう岡崎。
今でこそ、のんびりと和やかな空気に包まれていますが、都が東京へ遷った150年ほど前、京都の起死回生をかけ、激動の歴史が繰り広げられました。

京都復興の起爆剤
百年の大計・琵琶湖疏水
平安時代から、千年以上も都として栄えてきた京都。誰もが、京都は永遠の都であると信じていたに違いない。ところが、幕末の動乱の後、即位した明治天皇は東京へ居を移す。

明治2年(1869)の事実上の東京遷都後、衰退した町を憂い、立ち上がったのが第3代京都府知事の北垣国道〈きたがきくにみち〉だ。北垣は琵琶湖の水で産業振興を図り、京都を復活させようと琵琶湖疏水の建設を計画する。古くから河川や井戸の渇水等により、安定した水の確保に悩まされていた京都にとって、琵琶湖疏水は「夢の運河」であった。江戸初期からさまざまな開削計画が浮上したが、いずれも実現できなかった。それが、ここにきてようやく現実のものとなったのだ。疏水計画は飲料水の確保、灌漑、運輸、動力源確保のための空前の大事業となった。

工事責任者として、弱冠21歳、東京の工部大学校を卒業したばかりの田邉朔郎〈たなべさくろう〉が採用される。総工費125万円の調達にあたっては、その半分以上にあたる65万円を税金として市民に課すことを議会で決定した。上流の滋賀県、下流の大阪府では大きな反対運動がおこったが、明治18年(1885)に説得の上、ようやく着工にこぎつけた。

しかし、第1トンネルは、当時日本最長の2436メートル。技術的な困難も多く、多数の犠牲を払いながら、約5年の歳月をかけ、明治23年(1890)、ついに念願の琵琶湖疏水が完成を迎える。外国人技師に頼らず、日本人の手だけで成し遂げた未曽有の大工事に、京都は活気と自信を取り戻したのである。水力発電により新しい工場が生まれ、日本初の路面電車が開業したことで、近代京都の町づくりの基礎が完成した。

(ノジュール2021年2月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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