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河合 敦の日本史の新常識 第6回

ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。

コロナ禍で閉ざされた日本の門戸と

江戸時代の「鎖国」のはなし


イラスト: 太田大輔

新型コロナウイルスの影響で、2020年の訪日外客数は、前年比87・1%減の約411万人だったそうだ(日本政府観光局調べ)。今年に入ってからは2度目の緊急事態宣言が発出され、いまや他国との人の出入りはほとんどなくなってしまった。

そこでふと思ったのが、江戸時代の「鎖国」について。鎖国とは皆さんご承知のとおり、寛永14年(1637)の「島原の乱」をきっかけに、スペインに加えポルトガルを排除、長崎の出島にオランダ人を移し、通商を制限した政策のこと。原因はまったく違うが、現在約150ヵ国・地域からの入国拒否をしているわが国の現状は、どことなく鎖国に似ている気もする。

そもそも鎖国は「国を鎖〈とざ〉す」と書くが、長崎の出島や唐人屋敷の例を見ると、本当はどうだったのだろうか、と疑問が湧く。じつはいまの中学校の教科書では、「その言葉が示すように国が完全に鎖されたわけではなく、四つの窓口が開かれていました。その四つとは長崎・対馬〈つしま〉(長崎県)・薩摩(鹿児島県)・松前(北海道)」(『社会科中学生の歴史』帝国書院2018年)と書かれており、そこで対外交易が行われていたことを明記しているのだ。

とはいえ、貿易量はたいして多くなかったのでは?――そう思うのは誤りである。じつはこのとき、莫大な金・銀・銅が海外へ輸出されていたのだ。

幕府の新井白石〈あらいはくせき〉は「輸出量が多く、お金の原料が枯渇する」と考え、正徳5年(1715)に貿易制限令である「海舶互市〈かいはくごし〉新例(長崎新令)」を出している。これによりオランダ船は年間2隻まで、当時59隻が来航していた清国船は30隻に減らされ、その年の先着順に貿易許可証(信牌〈しんぱい〉)が配布され、持っていない場合は持参するよう厳しく通達された。

ところが、信牌を入手できなかった船長たちが不満をもち、清の朝廷に「蛮国日本の年号を記した紙(=信牌)をもらっている不当の者がいる」と告訴したのだ。昔から中国には「世界の中心は中国で、周辺国は中国に従うべき野蛮な国」という考え方(華夷〈かい〉秩序)がある。そこで清の康煕〈こうき〉帝は、これに抵触すると考え、信牌をすべて没収したのである。

とはいえ商売のことなので、翌年も清船は長崎へ出向いた。ところが幕府は、信牌を持参していないからと、すべての船を追い返し、こうして日清貿易は一時断絶したのである。

すると康煕帝は、すぐさま信牌を船長たちに返還し、交易を再開させたわけだが、華夷秩序を曲げてまで、なぜ清国は日本と貿易しようとしたのだろうか。じつは、そうしなければ清国の貨幣経済が立ち行かなくなってしまうからだった。驚くべきことに当時、清の銅銭原料の6〜8割が日本産の銅だったのである。それほど大量の銅を、江戸時代の日本は清やオランダなどに輸出していたわけだ。

こういった状況を踏まえると、「鎖国」という語は、本来はふさわしくない。そもそも鎖国という言葉を江戸時代の庶民は知らない。いまの教科書の脚注には、「鎖国という言葉の使用は、17世紀末、オランダ商館医として来日したドイツ人医師ケンペルの『日本誌』の一章を、享和元年(1801)に長崎のオランダ通詞志筑忠雄〈しづきただお〉が『鎖国論』と題して訳したことにはじまる」(『日本史B』実教出版)とあるように、江戸後期に学者(通訳)が新たに考えた造語であり、知っているのは相当な知識人だけだった。それが明治時代に学術用語として用いられ、さらに教科書に使用されたことで、鎖国=幕府の対外政策として一般に広まったわけだ。

そこで文科省は2017年に、次の小・中学校の学習指導要領では、実態に即して「鎖国」という用語の使用は取りやめ、「幕府の対外政策」と表記すると発表した。ところがパブリックコメント(意見公募)で国民の反対が噴出したため、前言を撤回したのである。だから現在の教科書にも「鎖国」という言葉は載っている。

ちなみに、昔の教科書では「鎖国によって海外発展の道はとざされ、産業や文化の近代化がおくれ、世界の進運からとりのこされる結果となった」(『詳説日本史』山川出版社1983年)と記されていたが、いまの教科書からは消えている。というのも、その認識は誤りで、当時の日本はヨーロッパに引けをとらない技術力や科学力を有していたことがわかっているからだ。そういう意味でも、鎖国という言葉は、もはや歴史用語としてふさわしくないのである。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『目からウロコの日本史』『世界一受けたい日本史の授業』『逆転した日本史』など。多摩大学客員教授。

(ノジュール2021年3月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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