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河合 敦の日本史の新常識 第7回

ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。

和同開珎から新一万円札まで。

知られざる「お金」の日本史


イラスト: 太田大輔

2024年から紙幣の肖像が変わる。一万円札が実業家の渋沢栄一〈しぶさわえいいち〉、五千円札が女子英学塾(現・津田塾大学)の創始者・津田梅子〈つだうめこ〉、千円札が伝染病研究所を作った北里柴三郎〈きたさとしばさぶろう〉となる。渋沢栄一は、今年のNHK大河ドラマ「青天を衝〈つ〉け」の主人公にもなり、注目の的だ。

そこで今回は、お金にまつわる日本史の新常識を紹介したい。

さて、みなさんは日本最古の貨幣の名を覚えているだろうか。

昔は「和同開珎」と習ったと思う。読み方を「わどうかいほう」と読むか、「わどうかいちん」と読むかでおおよその年齢がわかる。60歳以上は「かいほう」と習ったと思うが、近年は「かいちん」が正しいとされ、こちらで学ぶ。ただ、和同開珎が日本最古の貨幣という認識はもう古い。いまの教科書には「富本銭〈ふほんせん〉」と記されているのだ。

平成11年(1999)、奈良県の飛鳥池工房遺跡から30枚以上の富本銭が発掘された。以前から存在は知られていたが、「江戸時代のおもちゃの貨幣」とか「奈良時代のまじない銭」などといわれてきた。ところが、発掘状況から奈良時代以前(天武天皇の683年頃)であることがはっきりし、その後の調査で、当時9000枚以上が鋳造されたと推定されている。発見から3年後には「天武天皇のころに鋳造した富本銭に続けて唐にならい和同開珎を鋳造した」(『詳説日本史B』山川出版社)と教科書に掲載され、2008年度の大学入試センター試験にも「富本銭」が出題された。

さらに、富本銭より古い貨幣があるという説もある。それが「無文銀銭〈むもんぎんせん〉」。京都国立博物館のホームページでは、「この銀銭こそが日本でつくられた最も古いお金なのです」と明言しているし、日本銀行の貨幣博物館でも、富本銭より以前に「無文銀銭が用いられていたことも明らかとなっています」と記している。

ただ、無文銀銭は30枚(破片を含む)程度しか現存していない。真ん中に小さな穴が開き、無文といっても線刻や刻印が入っている銭が多い。銀片を貼り付けたものもあり、インゴット(貴金属の塊)として取り引きされていた可能性が高い。

無文銀銭を貨幣とする根拠は、『日本書紀』の天武天皇の項に「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ」という法令があり、文中の銀銭が無文銀銭、銅銭が富本銭を指しているからだとする。この説が採用されれば、近い将来、無文銀銭が最古の貨幣として教科書に載る可能性もあるわけだ。

とはいえ、無文銀銭や富本銭は少量しか生産されておらず、“初めて全国に流通した”貨幣は、708年に鋳造が始まった和同開珎といって差し支えない。和同開珎を大量に鋳造した理由は、710年から開始された平城京(奈良の都)造営のためであった。当時は財政難で、労働者たちに十分な布や米を支給できず、代わりに和同開珎に高い価値をもたせて支払ったのだ。

この仕組みは、いまも変わらない。100円玉は1枚25円で造られるし、1万円札にいたっては1枚20円で印刷できる。当時、和同開珎は(現在の価値で)1枚500円程度の値打ちをもたせたが、それよりずっと安い原価で造られていた。このように貨幣を鋳造することで、国家は経済的にうるおうわけだ。その後、朝廷は平安時代初期まで貨幣を造り続けた。和同開珎から始まって全部で12種類。これを本朝(皇朝)12銭と呼ぶが、以後、再び貨幣は廃れてしまう。粗雑な造りなのに朝廷が高い価値をもたせたので、人々が貨幣を信用しなくなり、再び米や布で取引を始めたからである。

再び国内で貨幣が流通するようになるのは、平安末期、平清盛が宋から質の良い大量の銅銭を輸入して以後のことであった。

戦国時代を終わらせた徳川家康は、銭貨を他国に頼るのをやめ、天徳2年(958)に朝廷が「乾元大宝〈けんげんたいほう〉」を鋳造して以来、約640年ぶりに国産の「慶長金銀」を鋳造、さらに三代将軍家光のとき「寛永通宝〈かんえいつうほう〉」の製造を開始した。明治4年(1871)、明治政府は江戸幕府の貨幣制度を改め、金本位制を建前とする円・銭〈せん〉・厘〈りん〉の「新貨条例」を制定。ここに「円」という通貨が初めて登場する。興味深いのは、その草案作成の中心となったのは、大蔵官僚時代の渋沢栄一だった。

さらに、明治18年(1885)になると、日本銀行が最初の紙幣である「日本銀行券」を発行。最初の肖像は商売の神様・大黒天だったが、歴史上の人物としては菅原道真〈すがわらのみちざね〉が初めて採用(1888年)され、これまでに描かれた人物は16人(最多は聖徳太子の7回)。そして「円」の誕生から150年を経て、渋沢栄一が新一万円札の顔になる。興味深い巡りあわせである。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『目からウロコの日本史』『世界一受けたい日本史の授業』『逆転した日本史』など。多摩大学客員教授。

(ノジュール2021年4月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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