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東西高低差を歩く関東編 第18回

地形に着目すれば、土地の歴史が見えてくる。
“高低差”の達人が紐解く、知られざる町のストーリー。
関東は皆川典久さん、関西は梅林秀行さんが交互にご案内します。

江戸近郊の名所 ~

王子・飛鳥山


イラスト:牧野伊三夫

土地の高低差ゆえ、江戸期以来「名所」として知られてきた場所が都内には点在する。その代表が眺望と渓谷美で知られる王子・飛鳥山だ。享保5年(1720)、八代将軍吉宗は飛鳥山に桜を植樹し、庶民行楽の場として開放する。江戸市中から徒歩で日帰りでき、荒川や筑波山を望む景勝の地は、浮世絵の題材としても描かれる名所だった。

幕末から明治にかけては「土地のポテンシャル」に導かれるよう、近代化の要である工場が集積する。土地のポテンシャルとは、石神井川の水運が利用できたことと、台地に導かれた千川用水の水が利用できたこと。まず江戸時代末期に幕府による大砲製造所の反射炉が建設され、明治初期には洋紙の製紙工場・抄紙会社(後の王子製紙)が設立される。煙突から煙を上げる煉瓦〈れんが〉造の抄紙会社は文明開化の象徴として、また風光明媚な飛鳥山の添景として、錦絵にもたびたび登場している。

その抄紙会社設立に尽力したのは「日本の資本主義の父」と称され、2024年より新一万円札の肖像となる渋沢栄一。彼は幕末にパリ万国博で得た知見から「製紙と印刷は文明の源泉」と確信し、抄紙会社を立ち上げる。2021年NHK大河ドラマ『青天を衝け』は、まさに波乱万丈な生涯をおくった渋沢栄一が主人公。彼は「五百社六百団体」と言われるほど多くの会社や組織を立ち上げ育成にも関わった、日本が誇るスーパーマンであった。

渋沢は明治12年(1879)に工場を見下ろす飛鳥山に別荘を設け、明治34年(1901)には本邸を構え終焉の地としている。また、民間外交の舞台として自邸のある飛鳥山に海外からも多くの要人を招き入れた。空襲によって邸宅のほとんどは焼失したが、晩香盧〈ばんこうろ〉(迎賓施設)と青淵文庫(書庫)が当時のままの姿で残されている。高燥の飛鳥山周辺は軍需工場が多く特に激しい空襲に襲われたが、2つの建物が戦火を免れたのは、地元住民たちがバケツリレーで決死の消火活動をしたからともされる。諸外国のみならず地域住民とも信頼関係を築き、多くの人に愛された渋沢らしいエピソードだ。

さて、歴史的な名所である王子・飛鳥山は、地形マニアにとっても興味の尽きない土地である。なぜなら武蔵野台地の北端地というだけでなく、台地を分断する「渓谷」が存在するからだ。都会に潜む渓谷の名は音無渓谷。その誕生には、この地を流れる石神井川の物語が隠されている。

石神井川は元々、飛鳥山の麓で南へと流れ、谷中を経て不忍池に注いでいた。ところが、荒川低地へと一気に流れ落ちた結果、生まれたのが音無渓谷だ。流路変更の理由としては、自然現象とする説と、人為的な土木工事に拠るものとする説がある。自然現象とする説は、海岸浸食によって台地の端が崩落し、石神井川が流れ落ちたとするもの。一方人為説は、石神井川下流域にあたる谷中や上野の洪水被害を防ぐために、大工事が行われたとするもの。公には自然現象とする説が「定説」となっている。

土地の高低差が産業を興し、近代化の歴史を紡いだように、地形そのものにもドラマが潜んでいたりする。地形も知の源泉に違いないのだ。そこで、東京の「地形」を身近に知っていただくために、昭文社より『東京23区凸凹地図』を出版した。オンライン地図が主流になりつつある昨今ではあるが、「紙地図」には代えがたい安心感と使い勝手があると思う。「文明の源泉」でもある紙の地図帖を、ぜひお手に取っていただけたらと思う。

皆川典久 〈みながわ のりひさ〉
東京スリバチ学会会長。地形を手掛かりに歩く専門家として『タモリ倶楽部』や『ブラタモリ』に出演。
2020年末に『東京スリバチの達人』(昭文社)の北編・南編を刊行。
暗渠・階段・古道の情報を加えた『東京23区凸凹地図』(昭文社)を監修し同時出版した。

(ノジュール2021年4月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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