河合 敦の日本史の新常識 第10回

ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。

645年と覚えた歴史事件、

大化の改新の主役は誰なのか?


イラスト: 太田大輔

昔はよく、歴史事件の年号をゴロ合わせで覚えたものだ。「イイクニつくろう鎌倉幕府」は、その典型だろう。ではみなさんは、大化の改新はどう覚えただろうか。

何人かに尋ねてみたところ、「虫殺しの大化の改新」、「無事故に終わった大化の改新」、「蒸しごはんを食べる途中で大化の改新」など、人によってゼンゼン違ったので、とても意外だった。

ただ、中大兄皇子〈なかのおおえのおうじ〉や中臣鎌足〈なかとみのかまたり〉が蘇我蝦夷〈そがのえみし〉・入鹿〈いるか〉父子を滅ぼした645年を、大化の改新と覚えたのは間違いないだろう。

しかし、その理解は今は正しくないのである。日本史の教科書では、蘇我氏を倒した事件のことは乙巳の変〈いっしのへん〉と呼んでおり、事件後の数年間にわたる一連の政治改革のほうを大化の改新と称しているのだ。

ところで、次の文章を読んでいただきたい。「王族の軽皇子〈かるのみこ〉が即位して孝徳〈こうとく〉天皇となり、中大兄皇子を皇太子、また阿部内麻呂〈あべのうちまろ〉・蘇我倉山田石川麻呂〈そがのくらやまだいしかわのまろ〉を左・右大臣、中臣鎌足を内大臣、旻〈みん〉と高向玄理〈たかむこのくろまろ〉を国博士とする新政権が成立し、大王宮を飛鳥から難波に移して政治改革を進めた」、「孝徳天皇時代の諸改革は、大化改新といわれる」(『詳説日本史B』山川出版社 2018年)

いかがであろう。この教科書を読むと、まるで孝徳天皇が主役のような書き方をしていることがわかるはず。

じつは、私たちが学んだ大化の改新は、『日本書紀』(現存最古の正史)の記述がもとになっている。ところが近年、乙巳の変後に皇位についたのは、中大兄皇子ではなく軽皇子(のちの孝徳天皇)なので、この人こそがじつは中心人物ではなかったかとする説が強くなっており、それが教科書の記述に反映されつつあるのだ。なお、その後しばらくして孝徳天皇は力を失い、中大兄皇子が権力者になったとする説がある。

ところで、『日本書紀』には、蘇我氏が天皇を超える権力を握り、非常に横暴だったので征伐されたと記されている。とくに蘇我入鹿の悪行とされたのが、山背大兄王(やましろのおおえのおう)を自殺に追い込んだことである。山背大兄王は聖徳太子の息子で、有力な皇位後継者だった。けれど入鹿は、別の皇族を天皇にしたかったので、邪魔な山背大兄王を抹殺したのである。このほか入鹿は、自分の子を皇子と呼ばせたり、不遜な言動が多かったという。でも、じつはこの記述は、真実かどうかはわからないのだ。

というのは、『日本書紀』の編纂は、蘇我氏を滅ぼした鎌足の子である藤原不比等が中心になっているからだ。自分の父親の行為を悪く書くはずもないし、その正当性を強調するのは当然だろう。つまり、蝦夷と入鹿の悪人ぶりは、フィクションが大きく混入していると考えるのが、研究者たちの共通認識になっている。

それではなぜ、乙巳の変や大化の改新が行われたのか。もちろん、朝廷の権力争いという面もあろうが、その一因は、間違いなく国際関係の激変にあった。

628年、唐が中国全土を平定し、首都を長安に置き、律令と呼ばれる法制度を整え、中央集権的な国家体制を築き上げたのである。この強大な帝国である唐の出現は、当然、朝鮮半島や日本にとっては大いなる脅威であり、実際、630年には唐が高句麗〈こうくり〉への攻撃を開始している。これにより緊迫した国際情勢が生まれ、朝鮮3国では、国家体制を強化するため政変が相次いだ。たとえば641年、百済〈くだら〉では義慈王〈ぎじおう〉が子の豊璋〈ほうしょう〉をはじめ、多くの王族や貴族を追放し権力を強化した。642年、高句麗では淵蓋蘇文〈えんがいそぶん〉が、唐の侵略を防ぐため、政変を起こして栄留王や多くの貴族を殺し、自分に権力を集めて宝蔵王〈ほうぞうおう〉を擁立した。647年には、新羅で善徳〈ぜんとく〉女王を排除するクーデターが起こり、混乱のさなか善徳が死去している。

ここからわかるとおり、645年の乙巳の変とそれに続く大化の改新も、じつは東アジア情勢の変化にあわせた動きだったのである。つまり朝鮮3国と同様、日本も大帝国、唐に対応するため、天皇に権力を集中させ、蘇我氏を倒して改革を断行し、中央集権的律令国家に転身する必要に迫られたのである。

以上、大化の改新について述べたが、この時期の研究はいまも非常に活発であり、近年、多くの木簡も発見され、その解析が進みつつあることから、今後も次々と新しい説が登場してくるにちがいない。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『目からウロコの日本史』『世界一受けたい日本史の授業』『逆転した日本史』など。多摩大学客員教授。

(ノジュール2021年7月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
ご注文はこちら