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河合 敦の日本史の新常識 第12回

ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。

徳川綱吉は暗愚な犬公方か?

弱者をいたわる名君か?


イラスト:太田大輔

徳川15代将軍の中で暗愚な将軍といえば、5代将軍綱吉を思い浮かべる方も多いだろう。きっと歴史の授業で、「犬を極端に愛護する『生類憐みの令』を出して違反者を多数処罰し、犬公方と憎まれた」と習ったはずだ。

ちなみに生類憐みの令は、20年以上にわたって、百数十回も発令された動物愛護に関する法律の総称であるが、最初の法令は「将軍が道を通過するとき、犬や猫を繋がずに放しておいてかまわない」というものだった。それが、魚や鳥を生きたまま食用として売るな、犬や猫に芸を仕込んで見世物にするな、犬に危害を加えた者を見たら密告しろ、鰻やどじょうを販売するな、釣りもダメと、過激で異常な内容になっていった。

だから庶民は飼い犬を傷つけたら大変だと捨てるようになり、江戸市中に野犬が急増。でも、怖がって誰も野犬にエサを与えないので、腹をすかせた犬が子供を襲うようになる。すると綱吉は驚くべき政策をとる。次々と大きな犬屋敷をつくり、野犬を収容し始めたのだ。中野の犬屋敷は広さが約30万坪におよび、10万〜20万頭を飼育。施設には犬医者(獣医)も常駐した。犬のエサ代は今の金額で70億円に達し、幕府はその金を人びとから徴収した。

綱吉がこんな奇妙な政策をおこなったのは、跡継ぎに恵まれなかったからとされる。綱吉の母・桂昌院が僧の隆光に相談したところ、「前世で多くの殺生をおこなった報い。生き物をいつくしみ、殺生を禁ずれば男子に恵まれます。将軍は戌年生まれゆえ、犬を保護するとよいでしょう」と助言されたからだという。

この話は『三王外記』という古記録に載るが、近年は史実でないことがわかっている。また、法令に触れた人々を毎日50人殺したとか、蚊を叩いて潰しただけで島流しになったとか、病気の息子のために燕の肝を食べさせようと、燕を殺した父親は子供と一緒に処刑されたというが、これらの逸話もすべてウソだ。研究者の山村恭子氏が調べたところ、生類憐みの令で処罰された例はわずか69件、うち死刑は13件。さらに地方では法令は遵守されなかったという。

とはいえ、生類憐みの令の内容は極端である。なぜこんな法律を出したのか。

それは、綱吉が戦国の野蛮な風習を消し去り、徳や仁によって世の中を統治しようとしたからである。綱吉は若い頃から儒教(朱子学)に傾倒していた。まだこの時代、江戸では辻斬りが横行し、野蛮なかぶき者が暴力沙汰をおこすなど殺伐としており、あの水戸黄門も若い頃、寺の軒下にいた貧しい人を面白半分に斬り殺している。こうした野蛮な社会を綱吉は変えたいと願ったのである。

だから35歳で将軍になると、綱吉は幕府の儒者林家の孔子廟と私塾を拡大して湯島へ移した。これが湯島聖堂と聖堂学問所である。そして幕臣たちに学問所で儒学を学ぶよう強く奨励した。さらに綱吉自らも幕臣や大名に講義を始めたのだ。しかもその回数は生涯に400回以上によおんだというから驚く。

綱吉はまた、堕胎や捨て子を禁じ、行き倒れた人を保護するように命じた。逆にいえば、当時の日本人は普通に子供を捨てたり、行き倒れた人を見捨てたりしていたのである。それが日本の現実の姿だった。

このように綱吉は強圧的な武断政治から儒教にもとづく文治政治への転換を目指したのだ。綱吉はまた、東大寺大仏殿の再建、護国寺の創建や根津神社の社殿造営など、神仏も篤く崇敬し保護を与えている。

こうした近年の研究成果から、歴史教科書の綱吉の記述も大きく変わりつつある。

たとえば生類憐みの令については、「この法によって庶民は迷惑をこうむったが、とくに犬を大切に扱ったことから、野犬が横行する殺伐とした状態は消えた」(『詳説日本史B』山川出版社2018年)とプラス評価も見られるようになったし、綱吉の治政も「戦国時代以来の武力によって相手を殺傷することで上昇をはかる価値観はかぶき者ともども完全に否定された」(前掲書)と高く評価されている。

また、『社会科中学生の歴史』(帝国書院2020年)では、綱吉を「文治政治に努めた将軍」と題して、次のように紹介している。

「綱吉は学問を奨励し、湯島(東京都)に孔子をまつる聖堂を建てて儒学を盛んにしたり、捨て子や老人へのいたわりを人々に求めたりするなど、戦乱の気風を改めることに努めました」

このように、現代の中学生や高校生は、徳川綱吉を暗愚な犬公方というより、どちらかといえば名君として教わるように変わってきているのである。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『目からウロコの日本史』『世界一受けたい日本史の授業』『逆転した日本史』など。多摩大学客員教授。

(ノジュール2021年9月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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