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東西高低差を歩く関西編 第25回

地形に着目すれば、土地の歴史が見えてくる。
“高低差”の達人が紐解く、知られざる町のストーリー。
関東は皆川典久さん、関西は梅林秀行さんが交互にご案内します。

祇園花見小路

寺院境内から近代花街へ


イラスト:牧野伊三夫

祇園(京都市東山区)を歩いたことがあるだろうか。お茶屋の建物が今も軒を連ねて、なかでも四条通から南へ延びる花見小路の一帯は、「祇園町南側地区」として国内最大の花街となっている。

一方でこの祇園花見小路周辺が、江戸時代まで広大な寺院境内だったことを知る人は少ない。そもそも江戸時代に祇園といえば、四条通から北側を指しており、現在お茶屋が集まる祇園花見小路の周辺は巨大寺院・建仁寺の境内だったのだ。この建仁寺境内が一転して、現在につながる市街地へと変貌したのは近代である。第一の画期は明治初年、寺社境内の没収だった。

各方面で近代化を図る明治新政府にとって「改革」の標的となったものが、前近代を代表する社会資源「寺社」である。江戸時代まで、寺社は公権力から見るとあいまいな立ち位置で、境内も多くが課税対象から外れていた。この前近代的ありようが、土地制度および租税制度の近代化を進めたい新政府にとって、格好の標的となったのは想像に難くないだろう。

明治4年(1871)、全国の寺社に向けて境内没収(上知令)が発せられる。これによって寺社境内の大半が没収となった。京都東山の大寺院建仁寺も例外ではなく、境内の北半部があえなく没収されてしまった。

さらに新政府の土地制度改革は、寺社境内の没収がゴールではない。それは没収後の土地を公有地・民有地に区分しながら、課税対象として新たに位置づけていく作業を伴った。建仁寺境内の北半部も没収の後に、民間に譲渡されて近代土地制度に包括されていく。これが祇園花見小路にとって第二の画期、明治6年(1873)の建仁寺旧境内払い下げである。

払い下げの同年に新たな租税制度「地租改正」が施行されたことも注目だが、同時に重要なのは建仁寺旧境内を取得した祇園の人びとが、新たに得た広大な土地を分割所有するのではなく、彼らが設立した学校「八坂女紅場学園」の名義で一括所有することに決定したことだ。この決定は後年に至るまで影響が大きく、現在の祇園花見小路一帯の景観が美しく保たれているのも、大半の土地を八坂女紅場学園が一括所有して、地域運営の効率化が図られていることが実は大きい。

一方で、建仁寺旧境内の払い下げを受けた祇園の人びとは、そこをすぐにお茶屋街に変えたわけではない。当初彼らは、広大な取得地を近代という新時代にあわせて改変していった。江戸時代まで10カ所以上の塔頭〈たっちゅう〉が集まっていた建仁寺旧境内の北半部に、花見小路など新道路を開通させ、「学校」(八坂女紅場学園)、「病院」(駆黴〈くばい〉院)、「授産所」(製茶場・養蚕場)、「遊園地」(花屋敷)、「劇場」(祇園館・有楽館)などを次々と開設していった。近代化に向けた試行錯誤ともいえるし、新時代に向けた実験的な事業を意欲的に行っているようにも見える。

この状態を大きく変えたできごとが、大正元年(1912)の「貸座敷取締規則」改正だった。この法令改革はセクシュアリティに関わる店舗に対して市街地中心部からの排除を意図したもので、全国各地の花街・遊廓が郊外へ一斉移転している。京都の場合、当時祇園の中心部だった四条通沿道の店舗群が対象となり、ほぼ全てのお茶屋が移転を余儀なくされた。もうおわかりだろう。大正元年の法令改正後、お茶屋群の移転先として選ばれた場所が、40年前に払い下げを受けた建仁寺旧境内だったのだ。

この際、花見小路の一帯には改めて大規模な盛土によってニュータウン建設用の地盤が造成されて、新たな「お茶屋街」(祇園町南側地区)が誕生した。これこそが現在に至る第三の画期である。

今改めて、祇園花見小路を歩いて欲しい。周辺には道路が規則的に配置されて、統一的な建築様式のお茶屋群が置づけていく作業を伴った。建仁寺境内の北半部も没収の後に、民間に譲渡されて近代土地制度に包括されていく。これが祇園花見小路にとって第二の画期、明治6年(1873)の建仁寺旧境内払い下げである。

払い下げの同年に新たな租税制度集まっている。また付近をよく見ると、高さ1mほどの盛土段差が取り巻いている様子もわかるだろう。これらの特徴は巨大寺院の境内が近代大変革の波を受けながら、祇園の人びとによってすがたかたちを変えてきた証しなのだ。

梅林秀行 〈うめばやし ひでゆき〉
京都高低差崖会崖長。京都ノートルダム女子大学非常勤講師。
高低差をはじめ、まちなみや人びとの集合離散など、さまざまな視点からランドスケープを読み解く。「まちが居場所に」をモットーに、歩いていきたいと考えている。
NHKのテレビ番組『ブラタモリ』では節目の回をはじめ、関西を舞台にした回に多く出演。著書に『京都の凸凹を歩く』など。

(ノジュール2021年11月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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