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東西高低差を歩く関西編 第27回

地形に着目すれば、土地の歴史が見えてくる。
“高低差”の達人が紐解く、知られざる町のストーリー。
関東は皆川典久さん、関西は梅林秀行さんが交互にご案内します。

石山寺~観音聖地を

「信仰の地理学」から考える


イラスト:牧野伊三夫

ひとが祈り、救われる場所には一定の条件があるようだ。山・川・泉・巨木など、特別な聖地とされた自然環境は世界中で数知れない。場所や地形・地質の特徴から、信仰のありかたを考えることもできるはずだ。これを「信仰の地理学」と呼んでみよう。

石山寺(滋賀県大津市)は日本有数の観音聖地として名高く、古代から現代に至るまで途切れることなく参拝者を集めてきた。いつ訪れても特別な空気を感じる境内だが、とりわけ印象的なランドスケープといえば、国宝多宝塔の優美なすがた、そしてその前に隆々と露頭する天然記念物「珪灰石〈けいかいせき〉」である。この奇観としかいいようのないランドスケープこそ、信仰の地理学を考えるうえでまたとない好事例なのだ。

約7000万年前(白亜紀後期)、今の琵琶湖に相当する範囲には巨大なカルデラ火山があったと推定されている。長径約60㎞にも及ぶこのカルデラを琵琶湖コールドロン(コールドロンとはカルデラ痕跡)といい、現在国内最大級の阿蘇カルデラ(阿蘇山)の長径約25㎞と比べると倍以上の規模であった。そして石山寺はおおむねこの琵琶湖コールドロンの外輪山周辺に位置しており、境内の珪灰石とはどうやら火山活動が生んだ岩石らしい。そのメカニズムを復元してみよう。

火山地下のマグマは温度が1000℃近くにまで達するため、周囲の岩石に対して高熱で性質を変化させる作用(熱接触変成作用)がある。もともと石山寺周辺には約2億年前に形成された石灰岩とチャートが分布しており、この基盤層に対して琵琶湖コールドロンが生んだマグマの熱接触によって、石灰岩はスカルン、チャートはホルンフェルスという岩石に変成していった。境内に露頭する珪灰石を詳しく観察すると、灰色で幅広の岩石のなかに、黒色に近い小さめの岩石が混在しているはずだ。これがそれぞれ、石灰岩が変成したスカルン、チャートが変成したホルンフェルスにあたる。このように石山寺を特徴づける珪灰石とは、スカルン(石灰岩変成)とホルンフェルス(チャート変成)が組み合わさった、約7000万年前の巨大火山活動の痕跡そのものだったのだ。

そして古代、ひときわ信仰を集めた観音菩薩が出現する場所として、石山寺の珪灰石は強く注目を浴びていく。仏教経典『華厳経』には「南方有山名曰光明彼有菩薩名観世音」(南方に名を光明という山があり、そこには観世音という名の菩薩がおられる)の一説があり、これを出典として東アジア各地で岩山が観音聖地に設定されていった。清水寺、長谷寺、東大寺二月堂など、日本で後に西国三十三所の観音巡礼に選ばれた聖地も、大半が『華厳経』で説かれるような岩山に立地している。同様に石山寺の珪灰石も、観音聖地にふさわしい地理環境として古代人に認識されていった。

さらに、石山寺が注目される条件が古代には存在していた。今は人里離れた山寺の印象の石山寺だが、奈良時代には平城京の陪都(副都)であり「北京〈ほくきょう〉」と称された保良宮〈ほらのみや〉とは目と鼻の先であり、宮都の関連寺院として大改修を受けた可能性が高いと考えられている。また寺のすぐ前を流れる瀬田川には奈良東大寺の建設用材が集積された石山津、そして東西交通路の結節点だった瀬田唐橋が設置されて、近畿地方主要部の一大交通拠点となっていた。古代の社会条件のなかで、石山寺一帯は人びとの視線を集めやすい立地だったといってよいだろう。

石山寺本尊の如意輪観世音菩薩半跏像は、奈良時代の塑像が焼失後に平安時代後期に木彫で再建造立されたもので、普段は秘仏であるが33年ごとに開扉公開されている(次回は2049年)。しかし天皇即位の翌年にも特別開扉が行われており、2020年がまさにそれにあたっていた。めったにない機会ということで、筆者も石山寺秘仏本尊の特別開扉に向かったものであるが、本堂奥深くの厨子内部の観世音菩薩半跏像を拝観して驚いた。観音は人造の蓮華座ではなく、今も珪灰石の露頭に直接座していたのだ。まさしく「信仰の地理学」を目の当たりにした思いだった。

梅林秀行 〈うめばやし ひでゆき〉
京都高低差崖会崖長。京都ノートルダム女子大学非常勤講師。
高低差をはじめ、まちなみや人びとの集合離散など、さまざまな視点からランドスケープを読み解く。「まちが居場所に」をモットーに、歩いていきたいと考えている。
NHKのテレビ番組『ブラタモリ』では節目の回をはじめ、関西を舞台にした回に多く出演。著書に『京都の凸凹を歩く』など。

(ノジュール2022年1月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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