人気の特集
日本史上初の武家政権誕生
頼朝と義時ゆかりの地
文=河合 敦 写真=大塚七恵
今年注目の北条義時が開いたとされる覚園寺など時代を動かした人物や出来事ゆかりの地をめぐります。
偶然訪れた寺で出会った貴重な仏像や、義時との意外なつながりもお楽しみに。
鎌倉幕府の歴史の舞台
鶴岡八幡宮からスタート1月半ばの朝8時過ぎ、JR鎌倉駅の改札を出た。陽光のお陰か、天気予報が言うほど寒くは感じない。通学・通勤の方々の流れに逆らって鎌倉駅入口の信号を左折すると、大通りに出る。そう鶴岡八幡宮への参道だ。二ノ鳥居から道路の真ん中が一段高い参道になっているが、これが源頼朝の妻・北条政子の安産を祈願して築造したとされる段葛〈だんかずら〉だ。ただ、素敵な夫だと褒めないほうが良い。この時期、頼朝は愛人との浮気に励んでおり、それを知った政子は彼女が住む家を破壊させたので、激しい夫婦げんかになっている。
八幡宮前の信号を渡り、境内に入ると、正面に太鼓橋がある。昔は渡ることができたが、いまは危険なので渡橋は禁止。橋の両側に広がる池は、東が源氏池、西が平家池だ。参道から逸れて源氏池に向かう。池の中の島に旗上弁財天社が鎮座する。頼朝が出兵の際の霊験への報賽の念を込め建立したとされ、社殿の背後に大きな自然石が2つ隠れている。頼朝が政子の安産祈願のため置いたという「政子石」である。石に触れると子宝に恵まれるというが、なぜ社殿裏を覗かないと見えない場所に置かれているのだろう。ともあれ弁天社はなかなかのパワースポット、おみくじやお守りも受けられるので、素通りするのはもったいない。再び参道に戻って本殿(本宮)へ向かう。子供の頃、何度この道を歩いたことだろう。河合家では、鶴岡八幡宮への初詣が恒例だった。ただ、残念ながら2010年を機に、参道から見る本殿の景色が変わってしまった。本殿の大石段の西側にそびえる大銀杏が強風で倒伏してしまったからだ。大銀杏をバックに家族写真を撮った思い出があるので、切り株姿の大銀杏が痛々しく思える。だが、近づいてみると、すでに切り株から多くの若木が伸びており、その生命力の強さに感動を覚えた。
ご存じのように、大銀杏は歴史を変える大事件の舞台でもある。
3代将軍実朝〈さねとも〉が参拝したある日、この木の陰に潜んでいた公暁〈くぎょう〉(実朝の甥)が、にわかに実朝の剣を捧げ持つ男を斬り殺し、さらに実朝の首をはねたのである。直前まで剣を捧げ持っていたのは北条義時〈よしとき〉だった。が、体調がすぐれず、別人と役目を代わり、命拾いしたという。果たして公暁の単独犯なのか、黒幕がいるのか、それが義時なのかなど、諸説がある謎の多い事件だ。ただ、実朝の死により、頼朝以来の源氏将軍は3代で絶えた。
本殿(本宮)の参拝を終え、すぐに参道を引き返すのはやめよう。大石段をおりて東側へ進むと、朱色が鮮やかな若宮(重要文化財)があり、さらに先へ進むと、うっそうとした木立に包まれ、空気感が一気に変わる。そして、木立の奥に忽然と漆黒の社が現れる。これが、頼朝と実朝を祭神とする白旗神社である。建物自体は再建だが、昔、豊臣秀吉がこの社を訪れ、同社に安置されていた頼朝の木像に向かい、「私とあなたは、共に微小の身から天下を取った。だから友達だ」と語りかけたという逸話が残っている。