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人々はなぜ

善光寺を目指すのか―?

文=笹沢隆徳(エイジャ) 写真=加藤義明

創建以来1400年の歴史を持つ善光寺。人々はなぜ、善光寺を目指すようになったのか。
善光寺研究で名高い信州大学の牛山佳幸先生に、その歴史を紐といていただきました。


『信濃国善光寺略絵図』(長野県立歴史館蔵)

貴族の支持を受け
郡寺から大寺院へ
「遠くとも一度は参れ善光寺」「牛に引かれて善光寺参り」など、古くから多くの人々の信仰を集める長野県長野市の善光寺。地方都市にありながら、毎年600万人もの参拝者が訪れる大寺院だ。現在は天台宗と浄土宗の僧侶によって護持されているが、善光寺自体は創建以来、無宗派の寺として、宗派や老若男女を問わずすべての信徒を受け入れてきた。特に、七年に一度の御開帳の年は、御開帳期間だけで、通常の年間参拝者数に匹敵する数の人々が訪れる。

それほどに名高い善光寺だが、牛山先生は「最初から有名だったわけではありません。もともとは、全国の豪族が建立した郡寺のひとつでした」と語る。

郡寺とは7世紀後半の天武天皇による仏教奨励政策に基づいて建立された、豪族の氏寺のような寺院。その数は600近くを数えたが、多くは平安時代に廃絶し、生き延びた寺は善光寺をはじめ、数えるほどしかないという。「善光寺が廃寺を免れたのは、平安時代に天台宗寺門派の本山である園城寺〈おんじょうじ〉(三井寺〈みいでら〉)の末寺となったことが、ひとつの契機です。当時の天台宗では寺門派と山門派が対立し、天皇や貴族階級は横暴な山門派より寺門派を支持しました。この天台宗寺門派の中で浄土思想が高まるにつれ、11〜12世紀に主に貴族の間で広まったのが善光寺信仰。そこに大きな役割を果たしたのが『善光寺縁起』です」

善光寺信仰を広めた
『善光寺縁起』
『善光寺縁起』とは、善光寺本尊と善光寺が創建されるまでの故事来歴をつづった霊験譚のこと。この縁起によれば、善光寺本尊の一光三尊阿弥陀如来はインドから朝鮮半島の百済〈くだら〉へ渡り、欽明天皇13年(552)、仏教伝来に伴い日本へ伝わったという。排仏派の物部〈もののべ〉氏はこの仏像を難波の堀江に捨てるが、そこを通りかかった信濃国の本田善光〈よしみつ〉が拾って信濃に運び、建立されたのが善光寺とされている。『善光寺縁起』には各種の伝本があり、内容も煩雑かつ壮大で、縁起を絵画化した絵伝も多い。「『善光寺縁起』の中で、善光寺の本尊は日本最古の仏にして生身仏であり、三国伝来の仏とされています。また、インドにいた時に如是姫〈にょぜひめ〉の病を治すなど女人救済のエピソードもある。特に重要なのは、極楽往生のみならず現世利益も兼ね備えていること。言ってみれば、『特別な仏様』です。善光寺信仰とは一種の浄土信仰ですが、特別な仏様が登場する点、死後のみならず現世も保証してくれる点で、他の浄土信仰にはない有り難みがあります。そのため、広く受け入れられたのです」

『善光寺縁起』の成立は12世紀頃と考えられているが、来歴は不明。牛山先生は独自の説を唱えている。

「『善光寺縁起』は仏教伝来など『日本書紀』の内容を採り入れた壮大なストーリーです。しかし、当時の『日本書紀』を見ることができたのは中央の有力貴族など一部の人間だけだったはず。おそらく、その中の誰かが作者だと思われます。」

(ノジュール2022年4月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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