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河合 敦の日本史の新常識 第20回

ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。

薩長同盟と船中八策は

龍馬の功績ではなかった?


イラスト:太田大輔

じつは私、中学生のときTBSテレビの『3年B組金八先生』を見て金八先生に憧れ、高校生のとき金八先生が敬愛する坂本龍馬を主人公にした司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んで日本史の先生になろうと決意した。だから2017年11月、龍馬が教科書から削除されるかもしれないというニュースに驚いた。

大学と高校の教員でつくる「高大連携歴史教育研究会」(当時の会長=油井大三郎・東京大学名誉教授)が、教科書用語の精選案を発表したのだが、削除対象に龍馬が含まれていたのだ。一研究会の意見だが、会には教科書執筆者が多く含まれ、日本学術会議の関係者もいたので、教科書に影響する可能性もあった。

さらに、この内容を取り上げたあるニュース番組が「龍馬は昔の教科書に載っていなかった」と明言していた。しかし、それはウソである。昭和18年(1943)の国定教科書(『初等科国史 下』文部省)に「朝廷では、内外の形勢に照らして、慶応元年(1865)、通商条約を勅許あらせられ、薩・長の間も、土佐の坂本龍馬らの努力によって、もと通り仲良くなりました」とある。国定教科書ゆえ、国民みんなが読んだはずで、戦前から龍馬は有名だったのだ。あまりにひどい誤報だが、私のような龍馬ファンは多く、この削減案に批判が殺到、研究会は用語の選定基準を修正、龍馬を教科書用語に残すとした。

ただ近年、歴史研究が進み、龍馬について驚きの新説が登場してきている。

龍馬の一番の業績といえば、犬猿の仲の薩摩と長州の手を握らせ、幕府に対抗できる勢力をつくりあげたことだろう。ところが高橋秀直氏はその論文「薩長同盟の展開:六ヶ条盟約の成立」(史学研究会編『史林 八十八巻四号』所収)で、同盟は通説の慶応2年(1866)1月ではなく前年の慶応元年9月の時点で成立していたとする。この年、薩摩藩家老の小松帯刀〈こまつたてわき〉が長州藩の井上馨〈いのうえかおる〉と伊藤博文に薩長提携の申し入れをおこない、それを受けて長州藩主の毛利敬親〈もうりたかちか〉が薩摩藩主の島津茂久〈しまづもちひさ〉に親書を送った。これをもって同盟が成立したと考えるべきだという。つまり、龍馬は全く無関係というわけだ。

町田明広氏もその著書『新説 坂本龍馬』(インターナショナル新書)で、薩長同盟〈さっちょうどうめい〉といわれるものは、木戸孝允〈きどたかよし〉が京都の小松帯刀邸で、薩摩藩士たちと交渉をおこない、孤軍奮闘のすえに成立させたのだと論じる。ただ、口約束では反故にされるかもしれない。ちょうどそこに龍馬が現れたので、木戸は条文を手紙にしたため、龍馬に裏書きを求めたとする。しかも、その内容は同盟というより覚書程度であるとし、町田氏は薩長同盟を「小松・木戸覚書」と呼んでいる。また、龍馬が木戸と西郷隆盛の間を仲介して同盟を成し遂げたとする有名な逸話は、当時の史料が存在せず、明治以降の創作だと断じた。

続いては船中八策〈せんちゅうはっさく〉に関する新説である。知野文哉氏は「龍馬は、船中八策という文書は作成しておらず、船中八策は、明治以降の龍馬の伝記のなかで、しだいに形成されていったフィクションである」(『「坂本龍馬」の誕生 船中八策と坂崎紫瀾』人文書院 2013年)と断言する。

船中八策とは、龍馬の新政府構想のこと。大政奉還による朝廷政府の樹立をはじめ、不平等条約の改正、憲法の制定といった、後に明治政府がおこなう道筋が見事に表記されている。一つ一つは龍馬の独創ではないが、八策が一体となって調和した政権構想になっている。だから船の中で土佐藩の重臣後藤象二郎〈ごとうしょうじろう〉が龍馬からこの案を示されると、大いに乗り気になって大政奉還のため猛然と幕府に政治工作を始めたとされた。また、船中八策は明治政府の五箇条の誓文や自由民権運動にも影響を与えたといわれてきた。

しかし知野氏は、龍馬が同志の長岡謙吉〈ながおかけんきち〉に書かせたとされる船中八策の原文は見当たらず、土佐出身の坂崎紫瀾〈さかざきしらん〉が明治18年(1885)に書いた龍馬の伝記『汗血千里の駒〈かんけつせんりこま〉』に初めて登場するという。土佐にも薩摩の西郷や長州の木戸に匹敵する龍馬というスゴイ人がいたことをアピールするため、船中八策を偽造した可能性を指摘しているのだ。

ただ、龍馬は大政奉還後の慶応3年(1867)11月に「新政府綱領八策」を書いているが、それは船中八策より簡素であるものの、ほとんど同じ内容なので、知野氏も言うように、大政奉還前に龍馬が同じ構想を抱き、後藤にそれを語っていた可能性もある。

それにしても龍馬は薩長同盟に関知せず、船中八策は偽作だというのは、それが事実であれば、何とも残念なことである。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『教科書に載せたい日本史、載らない日本 史~新たな通説、知られざる偉人、不都合な歴史~』(扶桑社新書)、『徳川15代将軍 解体新書(ポプラ新書)など。
多摩大学客員教授。

(ノジュール2022年5月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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