河合 敦の日本史の新常識 第23回

ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。

“髪結の亭主”は本当に

楽な暮らしができたのか?


イラスト:太田大輔

前回、江戸時代の髪結の話を書いた。「髪結いの亭主」という俗語があるが、髪結は稼ぎが多いので、妻にすると夫は仕事をしなくてよい。そんなことから「妻の働きで養われている夫をたとえていう語」(『日本国語大辞典』小学館)である。

ただ、江戸時代の女髪結は客単価が安い。現在の金額にすると250円から500円程度。しかし明治時代になると、状況は大きく変わるのである。

女髪結は主に芸者たちを客として髪を美しく結うようになる。明治政府の顕官や実業界の重鎮の多くは、花柳界出身の女性を妻や妾とした。そうしたこともあり、上流階級や華族の子女も髪結いに整髪を任せるようになる。すると、その稼ぎは男に匹敵するようになったのだ。

たとえば明治30年に出版された『婦人職業案内』(林恕哉著 文学同志会)を見ると、「女髪結ひ」という項目に、1日20銭から30銭の稼ぎがあると記され、中でも花柳界に出入りする者たちはさらに多く稼ぎ、「婦人の職業として相当に生活の道を立つるもの多し」とある。当時の木村屋のあんぱんが1個1銭。現在は200円程度。そば・うどんが同じく1銭から1・2銭だった。現在は300円程度。ここから換算すると、1日30銭稼ぐとすると6000円から9000円程度。高給取りではないが、十分自活は可能だろう。

ところがそれから3年後に発刊された『如何にして生活すべき乎』(開拓社編)では、「一ヵ月の収入百円内外は慥たしかにある算用なり」、「此の金額を以て生活を為さんには三、四人の家内は十分余裕のある訳なるに、未だ髪結の建てたる蔵のなきを見れば、如何なる亭主を持ちて如何に道楽をなすか想像するに難からざるなり」とあるのだ。1銭が200〜300円相当の時代に、なんと一月100円とある。1円は100銭だから、現在の金額にすると約3万円。つまり月給は300万円にもなる。なのに蔵を建てた髪結がいないので、いかにその亭主が道楽しているかがわかる、と書かれているのだ。

そう、ついに髪結の亭主が登場してきたのだ。さらに「女一人なれば随分小金を集むるものもあれども、大抵虫が付き易くして、斯かくセッセと働き集めると一寸貸して呉くれといふ亭主が出来るものにして財布の底には案外残らぬものなり」と揶揄している。このように明治30年代になると、ヒモ亭主が女髪結を食い物にするケースが出てくる。

女髪結がこれほど儲かるようになったのには、やはり理由がある。明治政府がオシャレを禁止しなくなったことも大きいが、うまく髪をセットしてあげることで、それなりに美しく見せる術を心得ていたからだろう。当時はまだ美容整形術などないので、とくに容姿が収入に直結する芸妓は、高い金を払っても腕の良い女髪結を抱えたのだろう。また、華族や実業家の妻や令嬢も社交界での付き合いが多い。大金を払ってでも社交場で目立ちたいと願い、女髪結に依存したというわけ。

そのうえ、女髪結は巧みなお世辞やおべっかで客をとにかく良い気分にさせてくれた。情報通で隣近所の噂も拾い集め、あることないこと、面白おかしく教えてくれる。だから噂好きな客たちは喜んでチップをはずみ、送迎の人力車や自動車まで出すようになったという。

この結果、大正時代になると、なんと女髪結の成金が現れる。

小西栄三郎著『大正成金伝』(富強世界社)は各界の成金を紹介した本だが、「髪結ひ成金桑島千代子」という一項目がある。

千代子は、京橋山城町の髪結師に弟子入り、21歳で独立するとすぐに腕が良いと評判になり、伝馬町の白牡丹で開催された第1回髪結い競技会で1等になった。いまでいうカリスマ美容師の地位を得たわけだ。以後、新橋の芸者だけでなく素人の子女も千代子の店に殺到し、7人の助手を雇い朝から夕方まで70、80人の髪を結い、さらに夜は迎えの人力車に乗って山の手の華族や実業家の奥様や令嬢の髪を結う日々を送ったという。その結果、一ヵ月に800円以上も稼ぐようになった。これは大臣の給与より多い。宮城屋銀行が潰れた際、千代子が1万3000円の預金をしていたことがマスコミに漏れ、大きな話題になったが、一説にはさらに30万円の貯蓄があったとか。

もちろん千代子にも重兵衛という亭主がいるが、仕事もせず彼女の稼ぎで贅沢に暮らし、一日中ゴロゴロしていたそうだ。ただ、千代子にも若い燕がいて、彼を連れてときおり着飾って歌舞伎座に出掛けたという。

いずれにせよ、江戸時代とは打って変わり、明治時代になると、腕の良い女髪結は大金を稼ぎ、その亭主は自堕落な生活を送るようになったのである。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。
多摩大学客員教授。早稲田大学大学院修了後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『号外!日本史スクープ砲』『歴史探偵』出演のほか、著書に『徳川15代将軍解体新書』(ポプラ社)、『お札に登場した偉人たち21人』(あすなろ書房)など。

(ノジュール2022年8月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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