河合 敦の日本史の新常識 第30回

ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。

日本中を席巻!

約100年前のパンデミックが
もたらした悲劇


イラスト:太田大輔

新型コロナウイルスによる感染症が国内で見つかってから3年以上経つが、まったく終息する気配がない。

約100年前のスペイン風邪は2年ちょっと、第3波で終息した。しかし約39万人の命が失われている。病院に行かない人も多かったので、その犠牲者はさらに多いはずだ。当時の社会にも大きな影響があった。多くの郵便局や鉄道会社でクラスターが発生し、電話や郵便、鉄道に支障が出ている。また、マスクだけでなく、熱冷まし用の氷が不足して値上がりし、大阪市の火葬場では遺体の火葬が間に合わなくなっている。

今回のコロナ禍では、短期間でワクチンが製造されたが、スペイン風邪のときも各県、各社でワクチン開発競争がおこった。すでに当時、コッホ研究所のプハァィフェルがインフルエンザ菌を発見したと公表していたが、医学界で賛否両論あり、確定されたわけではなかった(インフルエンザは細菌ではなくウイルスなので、これは誤り)。

しかしコッホの弟子だった北里柴三郎は、この学説にもとづき北里研究所でワクチンを開発。いっぽう、ライバルの国立伝染病研究所も混合ワクチンを開発した。このほか多種多様なワクチンがつくられ、多くの国民に投与されたが、効き目などあろうはずはない。が、効果があるとした科学論文が多く出された。いい加減なものである。

さて、スペイン風邪では、多くの有名人も命を落とした。日本銀行本店や東京駅を設計した辰野金吾、岩倉使節団の女子留学生で津田梅子の女子英学塾の運営を支えた大山捨松、野口英世の母・シカなどだ。特に大きな話題になったのは、女優の松井須磨子の死であった。ただ、彼女は感染死ではなかった。スペイン風邪にかかって回復している。彼女の死因は自殺だった。恋人の島村抱月がスペイン風邪で亡くなったことで、ショックの余り自ら命を絶ったのである。

島村抱月は東京専門学校(現・早稲田大学)で坪内逍遙に学び、新聞記者を経て師の逍遙と文芸協会(主に演劇活動をする団体)を立ち上げた。

松井須磨子は22歳のとき文芸協会の演劇研究所第1期生となり、2年後の明治44年(1911)、第1回公演の『ハムレット』でオフェリア役を演じ、さらに同年の第2回公演のイプセンの『人形の家』で主人公ノラを演じて人気女優となった。『人形の家』を翻訳したのは島村抱月で、演技指導をするなかで須磨子が妻子ある抱月に惚れ、二人は不倫関係に陥ったのである。

これを知った逍遙は、看板女優だった須磨子を追放。やがて居づらくなった抱月も文芸協会を去り、2人が中心となって大正2年(1913)に芸術座(劇団)を発足させた。翌年にはトルストイの小説を原作に抱月が書いた『復活』が大ブレークし、劇中で須磨子が歌う『カチューシャの唄』が空前の大ヒットとなり、女性のあいだでカチューシャが大人気となった。

しかし、大正7年(1918)11月、抱月はスペイン風邪に罹患して47歳の若さで亡くなってしまう。すると須磨子も、それからちょうど2ヵ月後に後を追ったのである。

東京日日新聞の報道によると、すでに死を決意していた須磨子は、前夜、坪内逍遙夫妻や兄などに遺書を認〈したた〉め、大島紬の白羽二重に友禅模様の襦袢をつけ、美しく化粧をほどこしたあと、首をくくったという。

抱月が亡くなる際、須磨子は彼に一緒に死ぬ約束をしたとされる。それからの2ヵ月間は泣き暮らし、誰に対しても穏やかで優しく、自殺の前日には「島村先生の仏前の御灯明は絶やさないようにしてください」と女中に頼んでいる。

須磨子が書いた3通の遺書は死後に公開された。兄の米山松蔵宛のそれを紹介しよう。「兄様、私はやつぱり先生の処へ行きます。あとの処は坪内先生と伊原先生に願つておきましたら、好い様になすつて下さい。只、私は墓だけを是非一緒の処へ埋めて下さる様、願つて下さいまし。二人の養女達は相当にして親元へ返して下さいまし」

このように、須磨子の願いはただ一つ。愛する抱月の墓に合葬してもらうことだった。この願いは坪内夫妻宛の遺書にも記されていた。坪内は合葬には反対だったが、せめて近くに並べて葬ってやったらどうかと遺族に打診している。しかし結局、遺族の反対によって、須磨子は抱月と同じ寺に入ることさえできなかった。まあ、残された抱月の妻子や親族の心情を考えたら、不倫相手を一緒に葬ることなど許せるはずもなかろう。

感染症のパンデミックはいつの時代も同じような悲劇を生むのかもしれない。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。
多摩大学客員教授。早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『号外!日本史スクープ砲』出演のほか、著書に『殿様を襲った「明治」の大事件』(扶桑社)、『30分でまるっとわかる!なるほど徳川家康』(永岡書店)

(ノジュール2023年3月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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