河合 敦の日本史の新常識 第33回

ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。

「士農工商」とはもう言わない!?

身分制度ではなかった
百姓と町人


イラスト:太田大輔

江戸時代に「士農工商」という身分制度が存在したことはよく知られている。

士は「武士(侍)」、農は「農民(漁民や林業従事者なども含む)」、工は「職人」、商は「商人」だ。小学生のとき学校の先生から次のような説明を受けた方も多いと思う。「江戸時代には士農工商という身分の上下関係があった。一番上の「士」は武士で、農工商を支配した。次に農民がくるのは、幕府や大名が『おまえたちは武士に次いで偉いのだから、きちんと年貢を払うんだぞ』と農民にプライドを持たせるため。商人を一番下にしたのも『商人は金持ちで贅沢しているけど、お金を扱う卑しい者たちなのだ』と農民を納得させるためなんだ」

ただ、この話は、よく出来たウソである。士農工商という身分制度は存在しないというのが、現在の定説になっている。今回はそのあたりの事情について、教科書の変化から詳しく解説していこう。

確かに昔の教科書には、次の例のように士農工商という身分制度がはっきり記されていた。「社会秩序として、士・農・工・商の四つの身分が厳格に固定されていて、それぞれの身分に応じた権利や義務が定められていた」、「武士は支配階級として苗字・帯刀が許され、」「庶民に対しては〝切り捨て御免〞の特権を認められた。農・工・商は被支配階級であり、それぞれの家業が固定され」ていた。(『高等学校日本史』学校図書出版1976年)

私が高校生だった35年前にも「幕藩体制を維持し強固にするためには、社会秩序を固定しておく必要があった。そのために士農工商の身分の別をたて、支配者としての武士の地位を高め、農工商とのあいだには厳格な差をつけた」(『詳説日本史』山川出版社1983年)とあるし、1997年の『詳説日本史』にも「近世社会は身分の秩序の基礎に成り立っていた。武士は政治と軍事を独占し(略)特権を持つ支配身分で、(略)被支配身分としては、農業を中心に林業・漁業に従事する百姓、手工業者である諸職人、商業をいとなむ商人を中心とした都市部の家持商人の三つがおもなものとされた。こうした身分制度を士農工商とよんでいる」と記されている。

ところが、それから5年後の2002年、奇妙な変化が起こった。

文章の最後が「こうした身分制度を士農工商とよぶこともある」(『詳説日本史B』)となっているのだ。「よんでいる」(1997年)から「よぶこともある」(2002年)と、断言をやめているのだ。この表現はそのまま踏襲され、現在の『詳説日本史B』(2022年)にも「以上のような社会の秩序を「士農工商」と呼ぶこともある」となっている。

では、別の日本史教科書(『新選日本史B』東京書籍2018年)の記述も紹介しよう。「江戸時代の社会では、武士と百姓、町人(商人と職人)が、それぞれの職能によって区分された身分を形づくった」と記されている。

そう、「士農工商」という言葉自体が消えているのだ。中学校の教科書も見ていこう。「人々を武士と百姓(農民など)・町人(商人・職人)の身分に分けて、身分の上下を強めました。武士は、多数の民衆を支配する高い身分とされ」(『中学社会歴史―未来をひらく』教育出版)「17〜18世紀にかけて、武士と百姓・町人の身分を区別する制度をかためていきました」(『社会科中学生の歴史―日本の歩みと世界の動き』帝国書院)「太閤検地や刀狩などによって定まった身分は、江戸時代になってさらに強まりました。身分は、武士と百姓、町人とに大きく分かれ、江戸や大名の城下町には、武士と町人が集められました」(『新しい社会

歴史』東京書籍)やはり、士農工商という言葉は登場しないことがわかるだろう。

このように現在は、江戸時代は士農工商という四身分ではなく、武士・百姓(農民)・町人の三つがあったと教わっているのである。

そもそも士農工商という概念は古代中国のもので、四つの身分というより「あらゆる人々」を意味する言葉だった。それを江戸時代に儒学者が、強引に日本の社会にあてはめ、それが誤った形で明治時代以降に伝わっていったのだという。

正確にいえば、江戸時代の身分は、支配者の武士と被支配者の百姓と町人という二つがあるだけだ。そして被支配者のうち、村(農山漁村)に住んでいる人びとが百姓(農民)、町(主に城下町や宿場町)に住んでいる人びとが町人(職人と商人)。つまり百姓と町人は身分の上下関係ではなく、居住区別や職業別の区分なのである。こうした事実が歴史研究の進展によって明確になったため、教科書から「士農工商」が消えているのである。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。
多摩大学客員教授。早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『号外!日本史スクープ砲』出演のほか、著書に『殿様を襲った「明治」の大事件』(扶桑社)、『30分でまるっとわかる!なるほど徳川家康』(永岡書店)

(ノジュール2023年6月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
ご注文はこちら