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歴史から読み解く

日本の「城」2000年

監修=小和田哲男 文=深草あかね(かみゆ歴史編集部) イラスト=香川元太

日本の城はいつから築かれたのだろうか?
一般的には戦国時代が連想されるが、その歴史は弥生時代にまでさかのぼる。
時代ごとに変化をとげてきた、「城」の歴史2000年を見ていこう。

【弥生時代】
外敵から集落を守る
城の起源・環壕集落
城とはなんだろうか。結論からいえば、敵の攻撃から自分の身を守るための「軍事上の要塞」である。では、いつから城は築かれるようになったのだろう。

日本の城の始まりは弥生時代にさかのぼる。弥生時代は稲作が始まった時代である。狩猟・採集の縄文時代に比べて食料の収穫は安定したが、同時に貧富の差が生まれ、米や土地をめぐって、ムラやクニ同士の争いも始まった。

そこで自分たちの集落を守るために築かれたのが、集落のまわりを堀や柵で囲んだ環壕集落〈かんごうしゅうらく〉である。佐賀県の吉野ヶ里遺跡は、弥生時代を代表する大規模な環壕集落で、内壕と外壕で囲まれ、壕には柵がめぐらされていた。また、愛知県の朝日遺跡は環壕内に逆茂木〈さかもぎ〉(乱杭〈らんぐい〉)が設けられ、敵の侵入を防ぐ工夫がされていた。こうした防御施設が城の始まりとされる。

【飛鳥時代】
国防のため西日本に
古代山城が築かれた
7世紀後半、天智天皇は日本と友好関係にあった百済〈くだら〉の再興のため、朝鮮半島に援軍を送った。この白村江〈はくそんこう〉の戦いで、日本・百済連合軍は唐〈とう〉・新羅〈しらぎ〉連合軍に惨敗。次は、日本が侵攻されるかもしれないという不安が広がった。

唐・新羅の来襲に備え、北九州や瀬戸内海沿いにつくられたのが古代山城である。古代山城は、百済から渡ってきた技術者の指導のもと築かれたとされる。なだらかな丘が連なる丘陵一帯を、石垣で築かれた城壁が囲み、広いエリアを城郭化している点が特徴である。

最前線となった対馬の金田城には、総延長5,5㎞の城壁が築かれ、現在も見事な遺構が存在する。なお『日本書紀』に記載のあるものは朝鮮式山城、ないものは神籠石系〈こうごいしけい〉山城と呼ぶが、これらを総称して「古代山城〈こだいさんじょう〉」というのが一般的だ。

(ノジュール2023年9月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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