人気の特集

かつての〝日本の中心〟を訪ねる

家康が住んだ街。

文=新間 健介(エイジャ) 写真=加藤義明、静岡市歴史博物館、浮月楼、久能山東照宮博物館

戦国時代を終わらせ、太平の世を築いた徳川家康。
将軍職を息子に譲った後は、駿府城に移り住み、大御所として江戸幕府の実権を握った。
家康が愛した駿府(現在の静岡市)は、大河ドラマの影響で今まさに注目の的。
市内に残る家康ゆかりのスポットを巡りました。

家康が暮らした地で
在りし日の城を想像する
静岡駅に降り立つと、あちらこちらに大河ドラマ『どうする家康』のポスターが掲示されている。到着早々、「ご当地」の盛り上がり具合がハッキリと伝わってきて、気持ちが高揚してくる。

なんといっても静岡市は、徳川家康が晩年を過ごした駿府城があった場所。家康は、75歳で亡くなるまで3回、計25年を駿府で過ごしている。初めは今川氏の人質として、2度目はこの地を治める大名として、最後は大御所として移り住み、この地で人生の幕を下ろしている。

特に大御所時代の家康は、駿府にいながらも幕府の権力を掌握。朝鮮やオランダ、イギリス、スペインの使節が訪れるなど、駿府は実質的な日本の中心であったともいわれている。

現在、駿府城があった場所は、駿府城公園として整備されている。駿府城は、寛永12年(1635)の火災によって天守や御殿などを焼失。以後、天守が再建されることはなく、城の規模は縮小。明治時代には城門が取り壊されて、城の建物は姿を消している。

公園の入口にあたる東御門は平成8年(1996)に復元されたもので、ほかに二ノ丸東南の隅櫓〈すみやぐら〉である巽櫓〈たつみやぐら〉と西南の坤櫓〈ひつじさるやぐら〉が復元されている。家康ゆかりの地らしく、歴史を感じさせる姿に変わりつつあるのがうれしい。

(ノジュール2023年9月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
ご注文はこちら