河合 敦の日本史の新常識 第39回

かつて教科書で学んだ歴史は、新事実や新解釈をもとに定期的に改定されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
日進月歩の研究によって解明される〝新しい日本史〟や〝知られざる新常識〟について、歴史研究家・河合敦さんが解説します。

古代では〝保存食〟だった!?

知られざる日本のすしの
成り立ち


イラスト:太田大輔

和食というと、そばや天ぷらをイメージする人もいると思うが、最も多いのは「すし」ではないだろうか。すでに奈良時代にはすしに関する記述が出てくるし、平安時代の『延喜式〈えんぎしき〉』という文献には、鮎〈あゆ〉ずし、鮒〈ふな〉ずし、鮭〈さけ〉ずし、鮑〈あわび〉ずしなど、多くのすしが掲載されている。鮑のすしとは珍しいが、さらに猪〈いのしし〉ずしや鹿〈しか〉ずしという、今ではちょっと考えられないすしも登場する。

ただし、現代のそれとは、全く形も味も異なっている。主に魚介類を飯の中に入れ、自然発酵させた食品をすしと称したのである。簡単にいえば、飯をぬか床にした漬け物と考えていい。形状からいうと、塩辛に近い。同じような食べ物は、古代の中国や東南アジアなどにも広く見られた。

飯はぬか床なので、それを食べたりはしない。そもそも漬け込み期間が長いものは数年間におよぶので、飯はドロドロになり、強烈な臭気を放ち酸味もあり、食べられなかったはず。ただ、飯に漬け込んだ魚介類は、乳酸発酵して長期保存が可能になる。つまり古代のすしは、保存食だったのである。

古代のすしの系統をひく「なれずし」としては、滋賀県の「鮒〈ふな〉ずし」が知られている。琵琶湖のニゴロブナを春に塩漬けにして重石を乗せ、夏の土用の頃に取り出して水洗いしたうえで、水気をとってフナにご飯を詰めて桶に入れ、その周りにもご飯を敷き詰めて重石をかけ、中ぶたの上に水を張って空気を遮断して発酵させた食べ物だ。

戦国時代になると、数週間程度の漬け込みで、飯と一緒に食べるすしが登場する。これを「生なれずし」という。ネタは鮒や鮎が人気だったが、コイやウナギ、ドジョウ、イワシ、アジ、ハモなどにくわえ、タケノコやナス、ミョウガなど野菜のすしも登場する。

江戸時代になると、京都で鮎の腹に飯を詰め発酵させた「鮎ずし」が流行、その形状から「剃刀〈かみそり〉」とも呼ばれた。また、物相〈もっそう〉(円筒形の曲げもの)などに飯を盛り入れ、乾魚などを敷き詰めて押す「飯ずし」も好まれた。

江戸中期になると、さらに早く食べようと、箱のなかに飯と酢と塩を入れ、魚介類をのせ、上から重石をして一晩で食べるようになる。これを「早〈はや〉ずし」といった。現代の「押しずし」の原型であろう。

朔日に 七里は出たり 名古屋鮓

これは、芭蕉の高弟・其角〈きかく〉が詠んだ俳句である。五月から九月までたびたび、御三家の尾張藩主は国元の名古屋から飛脚で「鮎ずし」を江戸の将軍家に献上したが、右はそれにちなんだ句だ。すでに恒例の「鮎ずし」の贈答を庶民も知っていたのだ。

文政十三年(1830)の『嬉遊笑覧〈きゆうしょうらん〉』には、江戸深川に「松ヶ〈まつが〉すし(松ヵ鮓)」が高級ずしとして紹介されている。たいへん評判を呼び、川柳や狂歌の題材にもなった。

松ヵ鮓 一分ぺろりと 猫がくひ

これは、〝金一分もする松ヵ鮓を猫が食ってしまったよ〞という川柳だが、当時、金一分で酒が一斗買えたというから驚く。ちなみに「松ヵ鮓」はワサビを使用した。当時のすしは生臭さを消すためにカラシやショウガ、サンショウを使うのが一般的、なのに高級なワサビを用いたという点でも「松ヵ鮓」は画期的だった。

ただ残念なことに、「松ヵ鮓」の形状は判明していない。おそらく「押しずし」だったと思われるが、「握りずし」の可能性もある。というのは、この文政期に「握りずし」が登場してくるからだ。

せっかちな江戸っ子は、「押しずし」を作って食べるまでの一晩が待てず、すぐに食べたいと、江戸前のとれ立ての魚(刺身)を酢飯を握った上にのせて食べるようになった。飯に酢を入れるのは、「鮒ずし」のように乳酸発酵した酸味を再現するため。また、物相や箱にいれて押していた「飯ずし」は、人の手で押すことになったわけだ。

やがて「握りずし」は、屋台で食べるファストフードになった。客は立ったまま屋台で一つか二つほおばり、熱い茶で流し込んですぐに立ち去った。長居はしない。食べる数も少なかった。というのは、江戸時代の握りずしは、現代のおよそ倍の大きさ、つまり、おにぎりぐらいのサイズだったからだ。今のすし屋の湯飲みが巨大なのは、この時期に由来する。すし屋は屋台営業で、握る職人はひとり。茶のおかわりを出す余裕はなかったので、大きな茶碗になみなみと注いだという。また、ファストフードゆえ、すし屋の屋台では長居しないから酒も出さない。このため大正末期〜昭和初期まですし屋では酒を提供しないのが一般的だったという。

すしは、このように長い歴史を持ち、形状や味を変えつつ、日本人に愛されてきたのである。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。
多摩大学客員教授。早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『号外!日本史スクープ砲』出演のほか、著書に『幕末・明治 偉人たちの「定年後」』(扶桑社)、『日本三大幕府を解剖する 鎌倉・室町・江戸幕府の特色と内幕』(朝日新書)

(ノジュール2023年12月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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