東西高低差を歩く関東編 第50回

地形に着目すれば、土地の歴史が見えてくる。
“高低差”の達人が紐解く、知られざる町のストーリー。
関東は皆川典久さん、関西は梅林秀行さんが交互にご案内します。

江戸最古の上水施設

小石川上水


イラスト:牧野伊三夫

江戸時代初期に城下の水需要をまかなった上水施設の記述として『御府内備考〈ごふないびこう〉之六・上水』がある。その中に「昔は水と云ふものなくして、赤坂溜池及び神田山の下を流れし水を用水に注がれしといふ」という文言がある。「赤坂溜池」は、現在の溜池山王駅付近にあったひょうたん型の大きな溜池のことで、明治の世になってからも存在したので当時の実測図によって、大きさや範囲など凡その姿を知ることができる。もうひとつの記述「神田山下の流れ」は、神田上水の前身として存在した小石川上水だと解釈されているが、水源や流路など、実像については不明な点が多い。今回は史料に乏しい江戸最古の上水施設・小石川上水について、地形の高低差を手掛かりに、実像に迫ってみたい。

まずは小石川上水が水を届けたエリアとは何処だったのか?

それこそが徳川家康が入府する前から存在した集落「江戸」なのだろう。江戸とよばれたのは、東京湾に突き出た半島状の砂州〈さす〉にあった半農半漁の集落だとされ、地形的には日本橋波蝕〈はしょく〉台地とよばれる比較的地盤が良好な微高地である。現在の銀座や京橋・神田あたりが相当する。江戸は臨海地区ゆえ飲料水の確保には苦労したであろう。井戸水には海水が混じり飲用に適さないことが多いからだ。飲み水確保は江戸で暮らす誰もが切望するところ、そこで家康は江戸赴任直後の天正18年(1590)に家臣の大久保藤五郎に「江戸水道の見立て」を命じたとされている。江戸先住民の願いを叶える施策を優先したのだ。新設された待望の上水施設こそが小石川上水、まずはかつての水源について推測しよう。

江戸と称された地域へ、きれいな水を届けるために利用可能な河川は、藍染川と谷端川(小石川)だろう。流域が比較的広く、水量が豊富なのは谷端川の方だ。ちなみに谷端川とは、豊島区の粟島弁財天の湧水池を源流とし、小石川植物園下を流れた延長約11㎞の自然河川のこと。それでは、もともと日比谷入江に注いでいた谷端川の水を、どうやって標高の高い「江戸」へと届けたのだろうか?

その謎を解くヒントが、江戸初期に造られたもうひとつの上水施設「赤坂溜池」にある。

溜池は、四ツ谷の鮫河橋谷を源流とする赤坂川の流れをダムによって堰き止め、水を溜めて造ったダム湖にほかならない。そのダムの様子は歌川広重が描いていて、浮世絵からは2m程度の落差規模を持つダムであったことが分かる。

それに倣って小石川上水にもダムがあったと仮定すれば、堰き上げられて水位の上がった谷端川(小石川)を水源とし、微高地である「江戸」へ届けることが可能になるはずだし、供給する水量も安定するだろう。となればダムとダム湖の場所を特定したくなる。その手がかりになるのが、やはり古地図と土地の高低差だ。

まずは明治19年(1886)頃の東京を描いた東京図測量原図には、谷端川(小石川)の流れと土地利用が描かれているため、図1のような推測が可能だと思う。その前提なら小石川ダムが存在した場所は、現在の文京区役所前(春日通り)から後楽園遊園地にかけてとなる。この一帯には江戸時代、水戸徳川家の上屋敷(初期は中屋敷)があった。つまり屋敷地の一部は、ダム(土盛り)の上に存在していたこととなる。その敷地は明治になってから、陸軍小石川砲兵工廠〈ほうへいこうしょう〉に転用された。その様子を記したのが東京図測量原図で、二段に整地された土地利用も読み取れる。

次に標高データを使って、周辺土地の高低差に注目しよう(図2)。小石川ダムがあった付近の標高を赤で表示すると、明らかに上流側が低くなっていて、かつて存在したであろうダム湖が浮かび上がる。そして赤色で示された同じ標高レベルのつながり、本郷台地のキワこそ小石川ダムからの導水路、すなわち小石川上水の流路を示すものではないか?

このレベルに水路をもうければ、江戸とよばれた地域に水を届けられることが理解できるからだ。

土地の高低差に着目して、街の魅力を紹介してきたこの連載であるが、史料が存在しない知られざる歴史を解読する「手法」に成り得るのかもしれない。土地の高低差は侮れない。

皆川典久 〈みながわ のりひさ〉
東京スリバチ学会会長。
地形を手掛かりに町の歴史を解き明かす専門家として『タモリ倶楽部』や『ブラタモリ』に出演。
著書に『東京「スリバチ」地形散歩』(宝島社)や『東京スリバチの達人/分水嶺東京北部編・南部編』(昭文社)などがある。2022年にはイースト新書Qより『東京スリバチ街歩き』を刊行。
専門は建築設計・インテリア設計。

(ノジュール2023年12月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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