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平安京の雅をもとめて

洛中から嵯峨嵐山へ

文=薄雲鈴代 写真=堀出恒夫、宮田清彦

御所を中心に、洛中には『源氏物語』の舞台となった寺社や史跡が点在しています。平安時代は都の郊外だった嵯峨嵐山でも哀しい物語が展開されます。登場人物の人となりに思いを馳せながら訪ねてみました。

平安神宮から廬山寺へ
紫式部の足跡を追う
千年の昔に書かれた『源氏物語』を読んでいると、その面影をたどりたくて、どうしても京都へ出かけたくなる。まずは、京都駅から市バスに乗って平安神宮へ。ちょうどバスを降りたところに高さ24mの大鳥居が立っている。仰ぎ見て、その大きさと美しさに息をのむ。鳥居の正面には、鮮やかな朱色の楼閣に緑彩瓦葺きの平安神宮が見える。

平安時代、実際に大内裏があった場所は、現在の千本丸太町〈せんぼんまるたまち〉あたりだが、今は碑が立つのみで、偲ぶべきものは残っていない。平安神宮は、帝が政務を執っていた平安京の正庁・朝堂院を再現したもので、社殿は大極殿、楼門は応天門を8分の5のスケールで模している。東に蒼龍楼〈そうりゅうろう〉、西に白虎楼〈びゃっころう〉が対峙し、まさに平安朝の雅やかさ。社殿の背後をめぐる神苑〈しんえん〉には、春の枝垂れ桜、初夏のカキツバタ、スイレンと、いつ訪れても花に出合える。『源氏物語』はもちろん、『竹取物語』『伊勢物語』『枕草子』と、古典文学に登場する草木が植えられていて花好きには格好の場所だ。今年始まった大河ドラマ『光る君へ』も、平安神宮でクランクインしたそうだ。

次に向かったのは、作者である紫式部が暮らした「平安京東郊の中河の地」である。そこは現在の京都御所の東向かい、廬山寺にあたる。

平安時代そこには、紫式部の曽祖父・堤中納言〈つつみちゅうなごん〉(藤原兼輔〈かねすけ〉)が建てた広い邸宅があった。紫式部はそこで育ち、藤原宣孝〈のぶたか〉との結婚生活を送り、ひとり娘の賢子〈けんし〉を育て、『源氏物語』を執筆。長元4年(1031)に59歳ぐらいで亡くなったという。

今、紫式部の邸址に立っている廬山寺は、天慶年間(938〜947)に元三大師良源が開いた古刹で、安土桃山時代にこの地へ移転した。本堂は、仙洞御所の一部を移築したもので、阿弥陀三尊が安置されている傍で、心静かに写経ができる。そこから眺める、白砂と苔の源氏庭が美しい。夏には、桔梗が清げに咲く庭である。

寺町通を挟んで向かい側には、梨木神社があり、そこに京の名水「染井の水」が滾々〈こんこん〉と湧いている。そこから少し南にある寺町御門から京都御苑を歩き、丸太町通へと抜ける。御苑一帯は、東京に遷都するまで、宮家や公家の邸宅が林立していた。現在は、芝生と玉砂利の広い道に変わり、生茂る名木や花樹が、かつて宮家の庭がそこにあったことを物語っている。

(ノジュール2024年2月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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