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雪とともに生きる

五箇山〈ごかやま〉(富山県)

文=松尾裕美 写真=宮地 工

人が暮らしているところに降る雪の量は世界一の国・日本。
すさまじい自然の脅威に果敢に挑み、ときに祈りながら、先人たちは生業を起こし、いのちを紡いできました。
豪雪地の暮らしには、先人たちの知恵が今も受け継がれています。

雪灯りに浮かぶ
合掌造り集落・相倉
四方の空を限る山々の稜線にみるみる群青が降りてくる。集落を雪崩から守る雪持林〈ゆきもちりん〉が黒々と浮かび上がると、冬の村は、大きな青い翼に被われたようにしんしんと更けてゆく。山あいの平地に合掌家屋が身を寄せ合う五箇山相倉〈ごかやまあいのくら〉集落は、昔話の世界に迷い込んだような気がするほのぼのとした昼間の姿以上に、静寂の中で、いっそう根源的な美しさを見せてくれる。

白川郷とともに世界遺産に登録された五箇山。そのうち、ここ相倉集落には妻入りや平入り、屋根部分だけが地面からにょっきり生えているかのような〝原始合掌造り〞まで、大小さまざまな20棟の合掌家屋が現存している。江戸時代末期から明治時代に建てられたものが多く、なかには350年も遡るものまで。日本の家屋の形を短い間に㆒変させた高度成長期のあいだでさえ粛々と受け継がれてきた、住まいと暮らしのたたずまいだ。ちらちら雪が舞う2月の夜の帳の中で、奇跡を見ているような思いがする。

深い雪が育んだ家の形と
暮らしを支える生業
かつては白川郷や五箇山など飛騨と越中の国境にだけ存在した合掌造りの家屋の屋根は、日本でも指折りの豪雪によって生まれたものだ。60度にまでなるという急勾配は、なるべく小さな力で雪下ろしできるようにするためだという。

屋根が大きいだけに「天〈あま〉」と呼ばれる屋根裏の空間もとてつもなく広い。自然木を丸太のまま、あるいは縦に割り裂いただけの木材を組み、釘は使わず、縄で屋根を固定している。巨大な屋根をこれで支えられるのかなと思うけれど、逆にこの遊びが、雪の重みや強風、地震の揺れも逃がす力学的に合理的な構造。ここに住む人々が世代を超えた長い経験の中で培ってきた大知である。

広い屋根裏空間はまた、米がほとんどとれなかった五箇山の暮らしを支えた産業・養蚕にも使われた。床がすのこ状なのは、1階の囲炉裏の熱を届け、蚕の育ちを促すためだそう。蚕は五箇山のふもとの町・城端〈じょうはな〉に運ばれ絹糸や絹織物に。そうして絹織物の産地として城端はおおいに栄え、加賀の庇護のもと、質実ななかにも雅な町人文化が花開いた。

大量に出る蚕の糞も無駄にはしない。カルシウムを含むヨモギなどの植物を尿と混ぜて床下で発酵させ、なんと火薬の原料になる塩(煙)硝〈えんしょう〉を作っていた。囲炉裏はこの発酵を促すためにも欠かせないものだったわけだ。塩硝は加賀藩の密命により作られていたそうで、泰平の江戸の世にあっても常在戦場の構えを失わない前田家、さすがなのである。

今の囲炉裏は団欒の場だ。長く雪に閉ざされる五箇山の人はおしゃべり上手。合掌民家が営む民宿に1泊でもすれば、独特の堅い豆腐、野菜や山菜の塩漬けの驚くべき美味の再生法など、長い冬を乗り切る五箇山の食を、地酒の「三笑楽〈さんしょうらく〉」を味わいながら、楽しくおいしく学べてしまう。旅程の都合で泊まれない場合は、まつやなどの食事処で、五箇山の味をぜひ味わってみよう。

(ノジュール2024年2月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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