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敦賀市

港が育んだ食文化と
海の恵みのごちそう

文=つぐまたかこ 写真=中田浩資

古くから天然の良港として栄えてきた敦賀。
はるか古代には渤海から来た使節を迎え、江戸時代には北国と畿内を結んだ北前船の寄港地にもなっています。
そんな敦賀で食と港町の風景を求めて歩きました。

敦賀といえば、まず海の幸
実はラーメンも外せない
港町といえば、ロマンチックなイメージを抱く人も多いと思うが、食いしん坊にとって港町・敦賀は、おいしい町。同じ日本海側だが、若狭湾の海の幸は、私が住んでいる金沢と微妙に違っているし、屋台文化発祥のラーメン、発酵食、北前船がもたらした昆布など、興味深いものが目白押しだ。

敦賀駅に降り立って最初に目指したのは、中華そば一力。昭和33年(1958)に屋台ラーメンとして始まり、現在の店舗になったのは昭和52年(1977)。実に60年以上愛され続けている名店だ。

二代目の菅井宏治〈ひろはる〉さんにその歴史を伺うと、敦賀の屋台の話に遡る。「敦賀駅は国鉄時代、大阪と金沢の中継点で、乗務員をはじめたくさんの人が乗り降りしていました。夜中に到着する貨物列車も多く、荷物を運ぶトラックの運転手が駅前に待機することになる。そんな人たちのお腹を満たす場所として屋台ができたんです。当時は夜になると40軒近くの屋台が並んだそうです」

一力は、創業以来中華そば一筋。黄金色に輝くスープは、とんこつと鶏ガラベースの醤油味で、特注の多加水熟成ウェーブ麺にほどよく絡む。ロース肉で作る自家製チャーシューは、麺と一緒に味わえるよう極薄カット。トッピングもシンプルで潔い。聞けば菅井さんはフレンチ出身。シンプルな分、日々磨きをかけてきたに違いない。食べ終わったあとなのに、なぜか「また食べたい」と心から思える味なのだ

次に向かうのは、日本海さかな街。ズラリと並ぶ海産物に目を奪われながら、炭火の香りにさそわれて行くと、串刺しにしたサバまるごと一尾がこんがりと焼かれていた。「浜焼きサバ」、「焼きサバ」と言われる若狭地方の郷土料理で、起源は平安時代らしい。日本海と琵琶湖を結ぶ交通の要衝として栄えた敦賀で行き交う旅人たちが食べたと言われている。熱々をそのまま豪快にかぶりつきたいが、中華そばを味わった直後。お腹がいっぱいなので、持ち帰りにすることにした。

発酵食、寿司、湧き水……
多彩で豊かな敦賀の食
旅の楽しみといえば、食と宿。敦賀さざなみリゾートちょうべいは、敦賀市街地から車で約10分、白い砂と澄んだ海の名子〈なご〉海水浴場の真ん前にある。一日中静かな波の音が聞こえるこぢんまりした宿だ。

ここに泊まろうと決めたのは、朝食が魅力的だったから。その名も発酵食ご膳。糠や麹、味噌など8種類の発酵食品を使った8つのおかずが籠盛りで登場する。「8個のおかずで〝はっこ〞う。なんですよ。駄洒落ですけど」と笑うのは、メニューを考えた、「醸しにすと」の資格を持つ女将の山本敬子さん。「このあたりで昔から作っていたちょっと甘めのへしこの味を守りたくて、地元のお母さんたちから習いました。郷土料理の焼きサバは、醤油麹を使うとふっくらやわらかくなるんですよ」。2年物だというサバのへしこはもちろん、醤油麹も塩麹も自家製で、塩分控えめのやさしい味。窓から海を眺めながら、身体が喜ぶ発酵食を楽しむ。なんとも幸せな朝ごはんだ。

敦賀に来たら、それも食をめぐる旅なら、行かねばならない場所がある。氣比神宮は、赤い鳥居が美しい、北陸道総鎮守越前國一之宮〈えちぜんのくにいちのみや〉だ。七柱の神様を祀る神社で、海上交通、無病息災、交通安全、安産……とさまざまなご利益があると言われているが、主祭神の伊奢沙別命〈いざさわけのみこと〉は、御食津大神〈みけつおおかみ〉とも呼ばれる食物を司る神様だ。そういえば、敦賀を含む若狭地方は志摩・淡路と共に、古代から平安時代まで、朝廷に御食料〈みけつりょう〉を貢いだ御食国〈みけつくに〉だったと言われている。「おいしいものと出会えますように」とお参りした。

お参りの効果はすぐにあらわれた。寿し丸勘は、昭和44年(1969)創業。地魚の握りを掲げる寿司店だ。この日の握りは、アオリイカ、ノドグロ、地だこ、バイガイ、アワビ、穴子……と大トロ以外はすべて地元産。若狭湾の豊かさを感じる充実のラインナップだ。地元のコシヒカリをアルデンテ風に炊き上げたすし飯は、口の中でハラリとほどける。店は昨年12月にリニューアルしたばかり。白木のカウンターが清々しい。

食後は泉〈しみず〉のおしょうずへ。料理の基本は水。敦賀は地下水にも恵まれているようだ。そこから散歩コースにほどよい港には、敦賀赤レンガ倉庫や人道の港敦賀ムゼウムなど異国情緒が漂う建物が立ち並ぶ。

(ノジュール2024年3月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)

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