河合 敦の日本史の新常識 第42回

かつて教科書で学んだ歴史は、新事実や新解釈をもとに定期的に改定されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
日進月歩の研究によって解明される〝新しい日本史〟や〝知られざる新常識〟について、歴史研究家・河合敦さんが解説します。

桜ではなく〝梅見〟で始まった!?

日本の伝統文化、
お花見の成り立ち


イラスト:太田大輔

日本人は、間違いなく世界で一番、桜が好きな人びとだと思う。三月半ばになると、連日テレビのニュースで桜の開花予想が詳細に報じられ、桜前線なる地図が大きく映し出される。また、桜が満開になると、桜の名所での花見の様子がたびたび中継される。「どこでサクラの蕾が膨らみ、匂い、開花を始めるかは大きな公共的関心事で、国内の日刊紙は毎日桜の名所先から至急電を報じます。東京の桜祭りは梅祭りよりも華美で、驚嘆すべきこの植物は、光り輝く群衆の衣装以上に豪華絢爛です」

これは、アメリカ人の紀行作家・エリザ・R・シドモアが記した紀行文(外崎克久訳『シドモア日本紀行』講談社学術文庫)の一節だが、なんと明治時代に書かれたものなのだ。

日本人の桜好きが今に始まったわけではなく、すでに明治中期から桜の開花は国民の一大関心事だった。

ただ、江戸時代の前期に花の名所といえば、湯島天神や亀戸天神など梅の名所をさすことが多かった。お花見イコール〝梅見〞だったのである。特に人気があったのは、亀戸天神から三町(約300m)ほど東にいった伊勢屋喜右衛門〈いせやきえもん〉の庭(清香庵〈せいきょうあん〉)に生えている梅の大木だった。もともと喜右衛門の先祖が庭園に300株の梅を植えたことで梅の名所となって亀戸梅屋敷と呼ばれ、その噂を耳にした水戸黄門(第二代水戸藩主・徳川光圀〈みつくに〉)も見物に訪れるほどだった。このおり光圀は竜が地面に這うような壮観な大木を見て、臥竜梅〈がりょうばい〉と名付けたといわれる。花は薄紅色で「蘭麝〈らんじゃ〉」のごときよい香りを放っていたそうだ。歌川広重など多くの絵師も、臥竜梅を画題とするほどだった。

もちろん当時の江戸には桜の名所もあったが、白山神社の白山旗桜〈はくさんはたざくら〉、圓照寺の右衛門桜〈うえもんざくら〉、深川八幡の歌仙桜〈かせんざくら〉など、一本から数本の、歴史や由来のある桜樹が見物の対象になっていた。なかでも人気があったのは、渋谷八幡宮の金王桜〈こんのうざくら〉であった。これは源義朝に縁のある、疫病に霊験のある老木として知られ、現在も実生している。

現代のお花見のように桜並木のもとに飲食物を持参し、大勢で楽しみながら花を愛でるようになったのは、八代将軍・徳川吉宗の享保年間(1716〜1736)以後だといわれている。代表的なお花見場所として、上野山、飛鳥山、御殿山、隅田堤〈すみだづつみ〉が挙げられる。

江戸後期になると、花の名所を紹介したガイドブックが続々と出版されるが、文政十年(1827)刊行の『江戸名所花暦』には、上野山(東とう叡えい山ざん)について次のように記されている。「東都第一の花の名所にして、彼岸桜より咲出て一重八重追々に咲つゝき、弥生の末まて花のたゆることなし(江戸一番の名所でお彼岸から弥生の下旬まで桜の花が絶えることがない」

この上野が桜の名所としては最も早く成立したが、やがて吉野桜の苗を植えた御殿山も海と房総の山々が眼下に望めるということで人気をはくし、さらに江戸中期以降、吉宗が飛鳥山と隅田堤に植えた桜が老木となり、花の名所として人びとが殺到するようになった。

特に飛鳥山の芝山には約1300株の桜が植わり、茶屋などもいくつも仮設されて行楽客であふれた。山頂から望む荒川の流れは、白布を引くような佳景であった。隅田堤も春になると「左右より桜の枝おひかさなりて、雲のうちにいるかと思ふはかりなり」(『前掲書』)という見事な光景に変じたという。

江戸の中心地日本橋から上野、隅田堤までは一時間、飛鳥山や御殿山へは二時間ほどかかり、この四カ所はいずれも市街地と農村の境界であったので、花見という行楽は江戸っ子にとって日常の生活空間から解放されることを意味していたのだった。

さて、先に紹介したシドモアは、明治時代になってからの花見の様子を次のように述べている。「開花シーズン中、桜や景観への先天的情熱は皇族、詩人、農民、商人、さらには労働者にも隔てなく取り付きます(略)墨田川東岸に沿った向島〈むこうじま〉は、まさに祭り一色です。低く垂れた桜並木が2マイル〔3.2㎞〕以上にわたって続き、満開の日曜日は、まさに天下御免の安息日です。(略)花見客はみな、瓢箪〈ひょうたん〉を肩に吊すか手桶を持って酒盛りに熱中し、(略)誰も彼もみな同胞、よく隣人となり、「異人さんも一杯いかが」とアルコール活力剤を陽気に振舞います。(略)このお祭り騒ぎにとっくみあいの喧嘩もなければ乱暴狼藉〈らんぼうろうぜき〉もなく、下品な言葉を投げ合う姿もありません。(略)日が暮れると、吊提灯が茶店や屋台に点り、枝々全体を優美に照らします。(略)(『前掲書』)

日本人とお花見――あらためて昔から続く日本の伝統文化になっていることがわかる。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。
多摩大学客員教授。早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『号外!日本史スクープ砲』出演のほか、著書に『平安の文豪』(ポプラ新書)

(ノジュール2024年3月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)

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