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“タイムスリップ” 江戸の旅
東海道の宿場町を巡る
文:中上晋一 写真:宮田清彦、山本弥生
江戸の町屋が200棟以上も続く、関宿から出発して近江東海道の旅へ。
土山宿、水口宿、石部宿……と、小さな宿場町にも寄り道をして、
現存する本陣としては最大級の草津宿を目指す。
江戸の人になりきって、宿場町をたどる旅へ。
関宿
木造ならではの温かみ
感動的な町並みが続く関宿時を止めたかのような、昔の町並みを残す宿場町。なかでも三重県・亀山市にある関宿(せきじゅく)は、江戸後期から明治にかけて建てられた町家が200棟以上も残り、往時をほうふつとさせる景色だと聞き、足を運んだ。
関宿の中心部へは関西本線関駅前の国道1号を渡れば5分で辿り着けるが、少しだけ東へ回り道して、関宿の東の入口にあたる「東の追分(おいわけ)」から入る。ここに立つと、直線的な家並みの奥に鈴鹿山脈まで奥行きのある風景が見渡せ、両側にははっと息を呑むほどの江戸時代さながらの家並みが続いている。関宿散策には申し分のないプロローグだ。
東の追分から西の追分まで木崎・中町・新所(しんじょ)と約1,8㎞続く町並みは、重要伝統的建造物群保存地区に指定。街道に面した電柱が移設され、民家をはじめ宿場町の遺構が見事に復元されている。かつて江戸から辿り着いた旅人が目にしたのとほぼ同じ光景が再現されているといってよい。
東の追分から歩いていくと、一里塚(いちりづか)、ご馳走場(ごちそうば)、本陣、脇本陣、問屋、高札場(こうさつば)、旅籠など宿場の機能と仕組みがよく分かる。両側に続く連子格子(れんじこうし)の町家もじっくり見るとさまざまな発見があり、それぞれに趣向を凝らした虫籠窓(むしこまど)や手造り看板、屋根飾り、塗籠(ぬりごめ)の壁の鏝絵(こてえ)などを探しながら歩けるのも関宿の楽しみである。町並みのところどころには町家が開放されている。小公園・「百六里庭(ひゃくろくりてい)・眺関亭(ちょうかんてい)」に立ち寄り、2階にある展望台から町を眺める。瓦屋根が連なる美しい家並みの先に地蔵院本堂の屋根が見え、先に鈴鹿の山々がそびえているのが見える。江戸時代末期の町家で、庶民の暮らしを再現しているのが「関まちなみ資料館」。百五銀行や郵便局の建物もすっかり町並みに溶け込んでいる。美しい虫籠窓が目を引く深川屋は、銘菓「関の戸」を販売する老舗菓子舗。ここで土産を物色した。
貴重な旅籠建築として修復された「関宿旅籠玉屋歴史資料館」では、庶民の旅に関係する歴史資料の展示が興味深い。江戸後期は日本人の旅好きが一層盛り上がった時代で、伊勢参りなど神仏参詣にかこつけた物見遊山の旅人が多かった。東海道で江戸から47番目の宿だった関は、伊勢や伊賀、大和への街道が交差する重要な宿場として大いに賑わった。天保14年(1843)の「東海道宿村大概帳(しゅくそんたいがいちょう)」によると42軒の旅籠があったとされる。こうしたなか、「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謡われていた玉屋は、200人以上も泊まれる大旅籠だった。ちなみに、会津屋は現在、関宿の貴重な食事処として営業を続けており、ここでランチをいただくことにした。名物の山菜おこわの味はまた格別だ。
新保の家並みを抜けて「西の追分」へ。京都へはここから鈴鹿峠を越えて19里半(約78㎞)だ。町並み散策を終え関駅へ引き返した。