いつか泊まってみたい懐かし宿 第91回

鹿児島県 沖永良部島

Shimayado 當

都会の感覚とこだわりで進化し続ける離島の宿

沖永良部島の島宿

和泊(わどまり)からバスに乗って田た皆みな郵便局前で降りたが、宿の場所が分からない。商店で聞くと、通りを少し下って左手に入る、と教えてくれた。角には、當(あたり)と書いた小さな看板が置いてあった。これが、バス停にも欲しかった。

道なりに行くと、1分もかからずに黒塀の屋敷が現れた。ステイ&ケイビングと記された簡素な看板がひとつ。門柱に當と刻んだすっきりお洒落な看板が立てかけてある。都会人の感覚だ。

庭に入ると、ガジュマル、オオタニワタリ、ゲットウなど、亜熱帯温の植物たちがひしめいていた。芝生に、雑草は見当たらない。奥の2棟は、右手が宿泊棟で左が厨房らしい。こんにちはと声をかけると、笑顔の女性が姿を現した。玄関に一歩踏み込んだところに、ゲストルームという小さな看板。庭に面した3部屋が客室で、裏部屋が宿主の居住空間だという。

手前の4畳部屋は、天井が高く欄間の絵柄は素朴派のような不思議な温かみがある。顔を見せたご主人が、到来品と気にも留めなかった欄間だが、その後島の職人の作と知り驚いた、と語った。照明も気に入ったものがあると、新たに備え付けているとか。縁側の白熱球も最近設置したという。常に進化し続ける宿空間のようだ。

本間は立派な床の間がついた8畳、隣には板の間の書斎もあった。床の間には、流木やガラス玉などが飾られ、沖縄や工芸、泡盛関連の本なども置いてある。縁側の重厚なイスとテーブルは、渋谷の桜ヶ丘でバーをやっていた時の家具。書斎には、旅や自然に関する本、CDやDVD、民族楽器も並んでいた。凝った内装は、デザイン関係の仕事をしていた主人のこだわりだという。夜は和紙に包まれた照明に灯が点り、幻想的な空間へと変貌する。

古民家をこだわり空間へ

夕方外に出ると、明かりが点った宿は、違った建物のように見える。女将が、湯槽にお湯を満たして声をかけてくれた。別棟にある脱衣場も浴室もこだわりぬいたものだった。ブリキの扇風機、金盥、ペンキが剥げかかった木製の椅子、手作りのホウキなど、どれもレトロ感に満ち溢れていた。

当然、浴室も抜かりはない。流木やサンゴ、貝殻、観葉植物、こだわりのタイル張りに囲まれて、お湯を張った白いバスタブは、洋画のワンシーンのよう。ゆっくりとバスタブで手足を伸ばし、くつろぎの一時を過ごす。

風呂から上がると、部屋のテーブルの上には地の食材をふんだんに使った夕食がスタンバイ。ハンダマとミミガーの三杯酢、ドゥルワカシー、ゴーヤ味噌炒めが並んでいる。ドゥルワカシーがのっている皿は、沖縄伝統の双漁紋が描かれた読谷壺屋焼か。どの器も主人のいい趣味が感じられる。他には、ワタナガー(島魚)の炒り大豆煮、ソーキの煮物、油ぞうめんなど。

食後、呑兵衛で話好きの客と知って、一緒に飲んでもいいですかと主人の大當さんがやってきた。島生まれだが東京育ちという主人は、Uターンしてリフォーム古民家で宿を開く時、苗字の一文字を宿名にしたという。当家ではダイトウだが、同じ集落にたくさんいる大當さんは、オオアタリと読むそうだ。なんと縁起の良い苗字だろう。

素晴らしい鍾乳洞の島として有名な沖永良部島では、最近ケイビング(洞窟探検)が人気で、主人もインストラクターとしてワイルドな廃洞などを管理しつつ、案内もしているという。参加者の7、8割は女性だという。

朝食は、縁側で緑濃い植物たちが静かに騒ぐ活気ある庭を眺めながら、トースト、トマトオムレツ、地野菜のサラダ、ソーセージ、ポテトなどをいただく。さらに、ジュース、ヨーグルト、フルーツ、コーヒーと黒糖が。

これからは、専用のトイレ(今は宿主と共用)を作るなど改良を加えて付加価値を高めていきたいと考えているという。最終的に、どんな宿の形になるのか楽しみだ

さいとう じゅん●1954年岩手県生まれ。ライター。テーマは島、旅、食など。おもな著書に『日本《島旅》紀行』『吐噶喇列島』『旬の魚を食べ歩く』『島で空を見ていた』。
近著は『島──瀬戸内海をあるく』(第1~第3集)、『絶対に行きたい! 日本の島』

(ノジュール2014年4月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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