こだわり1万円宿 第9回

旅ライターの斎藤潤さんおすすめの、一度は泊まってみたい宿を
「予算1万円」に厳選して毎月1宿ご紹介します。

奄美大島の豊かな自然に抱かれた
心落ち着く島の宿

1日3組限定の
大島海峡を望む島宿古仁屋（こにや）の海の駅へ迎えに来てくれた宿の車で、典型的なリアス式海岸を西へ向かう。ご主人は以前学校の先生だったが、早期退職して宿を開いたそうだ。宿名は、ゆっくりゆっくりという意味らしい。深い入江の海辺にたたずむ、瀟洒な建物の前で止まった。

扉を開けると、爽やかな風が正面（海側）から背後（山側）へ吹き抜けて行く。入ってすぐ右手がウッディーな食堂で、窓の向こうには木製のテラスと芝生、そして島に抱かれた海が広がっていた。一隅は、白木のカウンターがあるバーコーナーだった。

通された白木が基調の天井が高い和室は、ロフトも備えていた。客室にも広いテラスがあり、前には芝生の庭と美しい海が。近くの油井（ゆい）集落へ豊年祭を見に行く予定がなかったら、このままここでのんびりしていたいところだ。

夕方宿へ戻ると、地元の人がビールを飲みに来ていた。カフェや居酒屋の役割も果たしているようだ。生ビールを1杯もらって食堂のテラスに腰を下ろし、沈みゆく太陽を追いかけた。対岸の稜線に浮かぶ雲に隠れたり現れたりしながら、夕陽は様々な表情を見せてくれ飽きることがない。

テラスで横になったり、裸足で芝生の上を歩いたり、砂浜まで降りてみたり。同宿の客たちも、落日を前にテラスで風に吹かれている。空と雲を黄色、橙、赤に染めながら、やがて太陽は消えた。

島の味覚と
黒糖焼酎に舌つづみ大木の一枚板を使ったテーブルに並んだ夕食は、キビナゴの南蛮漬け、マグロの昆布巻き、豚のタンとニンニクの味噌漬けの3点盛合せ。地鶏のたたき3種類、チラガー（豚の顔の皮）とウリの酢の物、しらす干しのせ冷奴、ピーナッツみそ、イラブチ（ブダイ）のフライのタルタルソース添え、地魚の粗汁と、島の味覚が満載だった。主人が包丁を握っているようだが、いつ腕を磨いたのか。

どれも酒の肴にもピッタリで、ビールを黒糖焼酎に切り替え、ついつい飲んでしまう。飲みに来ていた島人とも、席が離れたままおしゃべり。ディープな島情報に接する、こんなひと時が楽しい。

のんびりとして充実した夕食を終えると、再びお気に入りのテラスへ出た。いつか満月が煌々と輝き、照らされた海や雲もぼんやりと光っている。涼をはらんだ夜気の下で、このまま寝込んだら、どんなに気持ちがいいだろうと思いつつ、なんとか部屋に戻った。

翌朝早く目を覚ますと、日は射していなかった。鎮まりかえった海をみていると、心がどこまでも穏やかになっていきそう。山陰の太陽を反映して、雲も空も海も微妙に色合いを変えていく。

1時間以上贅沢な時を過ごした8時から、朝食だった。惣菜の盛合せ、オキザワラの西京漬け、サラダ、味噌汁に、ドラゴンフルーツとマンゴージュース（または、コーヒー）がついた。主人の愛情が感じられる品々だった。

さいとうじゅん●1954年岩手県生まれ。ライター。テーマは島、旅、食など。
おもな著書は『日本《島旅》紀行』『島ー瀬戸内海をあるく』（第1〜第3集）、『絶対に行きたい!日本の島』など。
今夏、『ニッポン島遺産』、『瀬戸内海島旅入門』を刊行。

（ノジュール2016年12月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。）