河合 敦の日本史の新常識 第9回

ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。

三行半から縁切り寺まで

江戸時代の離婚事情


イラスト: 太田大輔

日本における男女格差は深刻な問題だと思う。世界経済フォーラム(WEF)が発表した「ジェンダー・ギャップ指数2021」は、各国の男女平等の実現度を数値化したものだが、日本は156カ国のうち120位だった。これではとても先進国といえないだろう。

とはいえ、昔に比べたらましになったと考える方も多いはず。そこで今回は、離婚を例にとって、江戸時代の実態を紹介していこうと思う。

夫が気に入らなければ、妻に離縁状を突きつけて家から追い出す。そんなシーンが一昔前の時代劇にはよくみられた。確かに離縁状は夫が妻に一方的に渡すものであり、原則、離婚する権利は夫にしか認められていなかった。ちなみに離縁状を「三行半〈みくだりはん〉」と呼ぶのは、三行と半分で書くことが多かったからだ。「其方事、我ら勝手につき、このたび離縁いたし候、しかる上は、向後何方へ縁付候とも、差しかまえこれ無く候、よって件のごとし」

これが典型的な文例であるが、よく読むと「離婚するのは私の都合なので、今後、誰と再婚してもかまわない」という意味であることがわかる。つまり、三行半は再婚許可状でもあるのだ。これを妻に渡さずに夫が再婚した場合、所払いという刑罰に処せられた。

こうした事実は、最近の教科書にも明記されるようになった。たとえば実教出版の『日本史B 新訂版』(二〇一八年)は「 世の結婚と離縁を調べる」と題し、三行半が再婚許可であること、離婚時に妻の持参金や家財道具は返還されること、子の養育費や親権は仲人を入れて協議することなどが明記されている。また、夫が妻の衣類を勝手に質入するなど、あきらかに夫側に非があれば、妻にも離婚請求が認められることも紹介されている。江戸時代の離婚率は不明だが、かなり高かったと考えられている。とくに江戸市中は単身の出稼ぎ男が多く、男性の人口比が極めて高かったので、女性は容易に再婚できた。バツイチは当たり前、中には結婚と離婚を繰り返す女性もみられた。なんと、すぐに別れられるよう、結婚前に離縁状をもらっておく例もある。夫を恐喝して離縁状を書かせ、家を飛び出して愛人のもとへ走る妻もいた。離縁状をもらうため家事を怠けたり、金を湯水のように使い、精神的に夫を追い込む妻もいた。とはいえ、原則的に女性には離婚請求権はなく、DV夫から逃れられない悲惨な妻たちも大勢いたことだろう。

だが、そんな女性たちを救ってくれる方法が一つだけあった。縁切り寺である。代表的な寺が鎌倉の東慶寺だ。寺に駆け込んだ妻は寺役人に身元を調べられ、寺の周辺の御用宿へ預けられる。その後、寺役人は妻の実家の村名主に連絡し、実家関係者を呼び集め「夫と交渉して離縁させてあげなさい」と協議離婚をすすめる。これを内済離縁と呼ぶが、たいていの夫は、妻の実家からお前の妻が東慶寺に駆け込んだと聞かされた時点で素直に離婚に応じた。それで離婚に至らないときは、東慶寺が仲人や夫を呼び出して叱りとばし、事実確認の上で離縁状を書かせた。拒否した場合は、寺法離縁の段階に入る。夫の住む村名主に、「寺役人が村に出向き離婚裁判をおこなう」旨を記した出役達書を送りつけるのだ。すると恐れをなした夫は、東慶寺を訪れて離縁状を渡すことになる。しかし、ごくまれにまだ離婚に応じない強者がいる。そうなると寺役人は本当に村に出向いて、夫に「女は東慶寺で預かる。もうお前の女房ではない」と書いた容赦のない寺法書(命令)を突きつけた。

ただ、夫も納得できなければ、幕府の寺社奉行へ訴える権利があった。でも結局、寺社奉行に「このままでは仮牢入りだぞ」と脅され、最終的には詫び状を書かされ、離婚することになる。どうせそうなるなら、なぜ素直に離縁状を出さないのか。そう疑問に思うだろう。じつはワケがある。「寺法離縁」に発展した場合、女は足掛け3年(24カ月)、寺での厳しい生活を余儀なくされる決まりなのだ。しかも脱走すれば を剃られ丸裸で追放される。つまり、逃げた女房への腹いせというわけ。

いずれにせよ、こうして東慶寺に駆け込んだ妻は、ダメ夫と縁を切ることができるのである。ただ、離婚成立後に再婚し、新しい夫に不満を持ったからといってまた寺に駆け込むのは許されなかった。明治時代になると、この縁切り制度は廃止され、女性の離婚請求権が認められた。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『目からウロコの日本史』『世界一受けたい日本史の授業』『逆転した日本史』など。多摩大学客員教授。

(ノジュール2021年6月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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