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河合 敦の日本史の新常識 第16回

ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。

利休は切腹せずに生きていた?

史料から読み解く新たな真実


イラスト:太田大輔

今回の連載は、特集「利休と秀吉でめぐる、冬の京都」に関連して、特別編として千利休の謎に迫っていきたいと思う。

千利休の名は、高校の日本史B(通史)の教科書すべてに掲載されている。たとえば『詳説日本史B』(山川出版社 2018年)には、「堺の千利休は、茶の湯の儀礼を定め、茶道を確立した。利休の完成した侘茶〈わびちゃ〉は簡素・閑寂を精神とし、華やかな桃山文化の中に、異なった一面を生み出した。茶の湯は豊臣秀吉や諸大名の保護を受けておおいに流行」と記されている。ただ、あくまで茶道(侘茶)の大成者として紹介されており、豊臣政権下で政治力を持ったことや、秀吉に切腹を命じられたことには触れられていない。他の日本史教科書を5冊ほど見てみたが、切腹が明記されているのは1冊だけだった。

ところが不思議なことに、中学校の教科書はそれと正反対なのだ。7冊調べてみたが、利休切腹が掲載されていないのは1社だけ。むしろ特別な出来事として利休の肖像入りのコラムになっている教科書が多い。『新しい社会歴史』(東京書籍 2021年)は、本文で利休を「質素な風情を工夫して楽しむ、わび茶と呼ばれる芸能を完成させました」と紹介し、さらに肖像入りコラムで「堺の商人で、茶の湯に優れ、織田信長や豊臣秀吉に仕えました。特に秀吉から重く用いられましたが、秀吉のいかりをかって自害を命じられました」と記しており、高校の教科書よりも詳しい。また、山川出版社の高校教科書は利休の切腹に触れていなかったが、中学校の教科書『中学歴史日本と世界』(山川出版社 2021年)には、利休の肖像画が掲載され、そのキャプションに「堺の豪商。秀吉に切腹させられた」と明記されている。

どうして中学校と高校で、こうした逆転現象がおこっているのだろうか。

文部科学省の中学校学習指導要領(社会科歴史的分野)を見ても「利休の切腹に触れなさい」とは一言も書かれていない。何とも不思議なことだ。いずれにせよ今の中学生は、利休は秀吉の怒りに触れて切腹したと学んでいる。

だが、これに関して研究者の中村修也氏は、利休は切腹せずに生きていたという説を称となえている。非常に興味深いので、中村氏の著書『千利休切腹と晩年の真実』(朝日新書)から紹介させていただこうと思う。

まず中村氏は、利休切腹の一次史料が存在しないことに疑問を抱いた。一次史料というのは、当事者の手紙や日記、公文書のことをさす。それ以外の史料は二次史料(主に後世に編纂された書物など)と呼ぶ。歴史学では二次史料はあまり用いず、とにかく一次史料を集め、それらを分析して怪しいものを除き、過去の事実をあぶり出していく。

ところが利休の切腹については、本人が死罪について記した日記や手紙、切腹に立ち会った人びとの日記や手紙、豊臣政権が発した切腹命令や利休の罪状など、一次史料が現存していないのである。

利休が堺へ追われたこと、木像が磔にされたことは一次史料で確認できるのだが、切腹については、当時の公家や僧、神職の日記に記されているものの、すべて他人からの伝聞で、事実だと断言できない。切腹の具体的な逸話は、特集記事で紹介した『千利休由緒書』(利休の死から60〜70年後の記録)が最も古い。ただ、同書には日付に誤りがあったり、利休邸の警固を担ったとされる上杉景勝は、当時は京都にいなかったなど、信用できない記述が少なくない。

さらに、驚くべきことに、九州の名護屋にいる豊臣秀吉が文禄元年(1592)に母・大政所の侍女宰相に宛てた手紙に「きのふ、りきうかちやにて御せんもあかり、おもしろくめてたく候」と書かれていることだ。これを中村氏は「昨日も利休の茶を飲んで、食事もとって、とても愉快で気分がよかった」(『千利休 切腹と晩年の真実』朝日新書)と訳している。前年切腹したはずの利休が秀吉に茶をもてなしているのだ。

これまで他の研究者たちは、この「りきうかちや」という部分について「利休流の茶」と読み解いたり、茶といえば利休なので、うっかり秀吉が「利休の茶」と書いてしまったのだと解釈していたが、素直に読めば中村氏の理解が一番当を得ているだろう。

最終的に中村氏は、さまざまな史料や論拠を示しつつ、堺に追放された利休は細川忠興が匿い、死んだという噂を流し、その後は自領に招いて隠棲させ、彼から直接茶の湯を学んだのだと論じる。詳しい内容はぜひ中村氏の著書を読んでいただきたいが、このように、利休は切腹せずに生きていたという驚きの説が存在するのである。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『教科書に載せたい日本史、載らない日本史〜新たな通説、知られざる偉人、不都合な歴史〜』(扶桑社新書)、『絵画と写真で掘り起こす「オトナの日本史講座」』(祥伝社)など。
多摩大学客員教授。

(ノジュール2022年1月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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