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鷗外と漱石の記念館を巡り

話題のライブラリーへ

文=森まゆみ 写真=村岡栄治

森鷗外没後100年。
後半生を過ごした観潮楼の近くには、同時期、夏目漱石も住んでいました。
近代文学ゆかりの地・千駄木周辺から、現代の作家・村上春樹のライブラリーがある早稲田へ、作家・森まゆみさんが訪ねました。

記念館で久しぶりに
鷗外と対峙してみる
森鷗外のことを『鷗外の坂』に書いてから早二十数年、今年は鷗外生誕160年、没後100年、たまには復習しようと団子坂〈だんござか〉上の森鷗外記念館を訪ねた。旧本郷区駒込千駄木〈せんだぎ〉町21番地、生涯の半分を暮らした観潮楼〈かんちょうろう〉の跡である。独立した記念館になって10年。入口で鷗外の胸像に迎えられる。これはカイゼルひげの怖そうな鷗外、もう一つ、軍服姿で微笑む若き日の鷗外がいて、期間限定でツーショットが撮れる。

常設展は地下、鷗外の遺品や作品にそって人生の歩みを知ることができる。塚田瑞穂〈みずほ〉副館長の説明を聞いた。「鷗外は島根県津和野〈つわの〉藩の典医〈てんい〉の息子、文久2年(1862)生まれ、明治維新の5年前です。2代続いて養子、やっと生まれた男の子なので、とても大切に育てられました」。「10歳の時に父とともに家族より一足先に上京。その時の経路は瀬戸内海から大阪へ、さらに東京まで海路ということがわかりました」。このところの鷗外研究の成果はめざましく、私が『鷗外の坂』に書いた後も新発見が続いている。動く映像の鷗外も発見された。「東京大学の医学部に入ったのが数えで12歳。入学年齢制限のため2歳年を増して14歳として応募したようです」。10歳といえば小学4年生、いかに神童だったかが知れるが、お母さん、教育ママ過ぎやしませんか。「鷗外は19歳で医学部を卒業し、医師免許を受け、卒業成績が8番だったので文部省からのドイツ留学がかなわず、陸軍省に入り軍医としてドイツに留学したのです……」。副館長の解説はわかりやすい。私もこの年になると細かい活字を追うより、耳から入る情報の方が心に残る。

地下の映像室では安野光雅〈あんのみつまさ〉さん、平野啓一郎さんなどの鷗外に関するインタビューも見られる。2階には図書室があり鷗外に関する書物や資料も読める。知識を吸収して頭が疲れたら、モリキネカフェで庭を眺めよう。その庭には「三人冗語〈じょうご〉の石」といって、鷗外と、幸田露伴〈こうだろはん〉、斎藤緑雨〈りょくう〉が日本初の文芸批評のために集まった時に写真を撮った大きな石がある。

(ノジュール2022年4月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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