人気の特集
【東京】日本橋
蔦屋重三郎の時代からのれんを守る老舗へ
江戸時代の浮世絵黄金期に、蔦屋重三郎が営む版元・耕書堂が吉原から移転して店を構えたのが旧日光街道沿い。
江戸の目抜き通りだった日本橋通油町でした。
江戸の商業の中心だった日本橋周辺で、蔦重が生きた時代から今に続く老舗を巡る旅に出かけました。
ビルの谷間のお稲荷さんと
江戸初期創業の和紙専門店へスタートは、徳川家康公が参詣し、歴代将軍からも信仰を集めていたという福徳神社(芽吹稲荷)から。高層ビルの間に立つ赤い鳥居が神社へと誘う。福徳神社は江戸時代、幕府公認の富くじの発行が許されていた数少ない社寺の一つ。くじとの縁が深く、しかも、〝福徳〞というありがたい名前から、商売繁盛や勝負事、宝くじ当選祈願などにご利益があるといわれている。
参拝して、ふと横を見ると、神楽鈴と三宝が目に入った。三宝の上に宝くじや財布、スマホなどを乗せ、神楽鈴を振ってお祓いをすると福徳の幸がいただけるとのことなので、さっそく祈願させていただいた。何かいいことがありそうな気がする。
すがすがしい気持ちになって向かったのは、江戸時代初期の承応2年(1653)に紙問屋として創業した小津和紙。歌川広重の浮世絵に、江戸時代の日本橋界隈の賑わいを描いた《東都大伝馬街繁栄之図》がある。その中に描かれている小津和紙は、現在も同じ場所でのれんを掲げている。本館ビル3階の小津史料館では、創業以来の小津和紙に関わる史料が数多く展示され、その繁栄ぶりがうかがえる。
本館ビル1階の店舗では、全国で生産されたさまざまな和紙とともに、和紙を使った小物や雑貨を販売。自分用に一筆箋を選んでみた。手漉き和紙の制作体験もできる。流し漉きの方法で行う、基本的な和紙の漉き方に加え、水滴と型を使って模様を付ける方法も教えてもらえる。すぐに脱水、乾燥させて持ち帰れるのもうれしい。できあがった和紙を空にかざしてみた。光に透けた和紙は格別に美しい。
刷毛や楊枝の老舗を訪ね、
江戸の技術と粋にふれる「店の前の道が江戸時代の五街道の一つ、旧日光街道(現・大伝馬本町通り)で、蔦屋重三郎さんのお店・耕書堂もこの通りにありました。当時は版元や木綿問屋が並ぶ、とても賑やかな通りだったようです」。こう教えてくれたのは享保3年(1718)創業の刷毛・刷子〈ぶらし〉専門店、江戸屋12代目当主の濵田捷利〈かつとし〉さん。
初代は刷毛師として京都で修業したのち、将軍家お抱えの刷毛師に任じられ、江戸城や大名屋敷の屏風や襖などを表装する経師〈きょうじ〉が使う刷毛、大奥の化粧刷毛などを納めていたという。滅多に見ることができない、水白粉〈みずおしろい〉の化粧刷毛を見せてもらった。今でも歌舞伎役者らが使用しているものだという。現在は刷毛やブラシを合わせて約3000種の品を扱うというからすごい。日常的に使えるタワシやヘアブラシなども販売している。
お昼は元禄12年(1699)創業の鰹節専門店・にんべんが運営する和ダイニング、日本橋だし場はなれへ。ランチタイムは少々並ぶ覚悟が必要だが、辺りはふわりとしただしのよい香りに包まれ、期待を裏切らない。だしのうま味を生かした炊き込みご飯やおかず、吸い物など。身体に染みわたる優しい味を満喫する。
ランチの後は数歩歩けば、次なる目的地、日本橋さるやに到着。ここは宝永元年(1704)創業の楊枝専門店。楊枝は江戸時代には、主に小間物店(化粧道具などを売る店)や楊枝専門店の店先で作られ、販売されていたという。そのころのさるやの様子が描かれた浮世絵が、店内に飾られている。さるやの楊枝は、すべて香りがよく、しなやかなクロモジが使われているのが大きな特徴。店内には、恋の歌が書かれた紙を楊枝の一本一本に巻いた辻占〈つじうら〉楊枝、歌舞伎や能楽を題材にした桐箱入りの楊枝、熟練の職人が一本ずつ手で削った上角〈じょうかく〉楊枝など、小さなものに遊び心を加えた江戸の粋を感じさせる品が並んでいる。