河合 敦の日本史の新常識 第53回

かつて教科書で学んだ歴史は、新事実や新解釈をもとに定期的に改定されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
日進月歩の研究によって解明される〝新しい日本史〟や〝知られざる新常識〟について、歴史研究家・河合敦さんが解説します。

先人の経験を忘れない

未来へ紡ぐ震災の記録


イラスト:太田大輔

今年、阪神・淡路大震災からちょうど30年に当たる。市民の間では「関西は巨大な地震が起こらない」といった認識があったというが、この地震によってその過信は打ち砕かれた。それ以後も、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震と、たびたび震災に見舞われている。そんな地震大国日本だが、今一番危惧されているのは南海トラフ地震だろう。国の被害想定では最大32万人の死者が出るとされている。30年以内に70〜80%の確率で発生するといわれてきたが、昨年、南海トラフ地震の一部だとされる地震が起こった。大きな被害はなかったものの、海水浴場が閉鎖されるなど観光に大きな影響を与えた。

この南海トラフ地震は、これまで100年から150年程度の周期で繰り返し起こっている。しかも、この地震がきっかけで火山が噴火したり、内陸部で大地震が発生するなど連動して災害が多発したりするケースが多い。ただ、あまりに発生のスパンが長いため、世代交代によって震災の記憶は消え、南海トラフ地震が起こるたびに多くの犠牲者を出してしまっている。

今回は江戸時代の大坂の例を紹介しよう。江戸時代の大坂は、日本最大の商都であった。近くに港があり、川や水路があちこちに流れる水の都市ゆえ、多くの物産は舟で市中に運び込まれてきた。それが、地震での被害を大きくしたのである。宝ほう永えい4年(1707)10月4日、宝永地震(南海トラフ地震)が発生すると、河口から津波が川や水路を遡ってきたのだ。波に乗って巨大な船が次々と河川へ入り込み、橋や小舟を押しつぶし、舟に避難していた人々の命を奪ったのである。

しかしこの悲劇は忘れ去られ、147年後にまったく同じ状況に見舞われたのである。

嘉永7年(1854)11月5日、安政南海地震が発生した。実は前日にも安政東海地震が起こっており、人々は宝永地震のときと同じように舟に逃げ込んだのである。

そして約2時間後、再び津波が大坂市中に入り込んできたのである。

こうした大災害が起こったとき、瓦版が多数発行される。どこでどのような被害が発生したのか。どこにお救い小屋(避難所)があるのか、どこで炊き出しが行われているのかといった情報などが記されている。

その一つ「諸国大阪大地震大つなみ末代噺」によると、海の沖が雷のように唸り、3mほどの大波が到来した。沖の大船が矢を射るような勢いで川に駆け込み、橋を砕き、川端の家や土蔵を崩し、多くの船頭や水夫が溺死したとある。小さな茶舟や荷舟は大船の下敷きになったり、吹き飛ばされたりして沈没してしまった。人々は家族を心配して老人や子供を舟に乗せて岸辺につないでおいたのに、大船に破壊されて溺死したり、行方不明になったりした者は数知れず、目も当てられない有様だったという。

それにしてもなぜ、大坂の人々は舟に避難するのだろうか。

一つは、宝永地震の教訓がまったく生かされていなかったからだ。伝承が残っていれば、あえて同じ過ちは繰り返さなかったはずだ。そして火事である。このころ、大坂では火事が多く、町奉行所も人々が舟に避難するのを容認していた。

さらに不運だったのは、約半年前の伊賀上野地震で大坂も大きな揺れを経験したが、このときは津波が到来しなかった。そのうえ、前日(11月4日)の安政東海地震も同様だった。このように、直近の成功体験が被害を大きくしてしまったのだろう。

大坂における安政南海地震での犠牲者数は記録によってまちまちだが、地震そのもののよりも津波のほうが被害が大きかったことが分かっている。

大坂の人々はこの震災を経験して初めて、実は147年前にも同じ事が起こっているのを知った。そこで二度とこうした悲劇を起こすまいと、翌安政2年(1855)、住人たちが木津川のほとりに石碑「大地震両川口津浪記」を建てた。石碑には「大地震の節は津波起こらん事を兼〈かね〉て心得、必船に乗るべからず」と刻まれている。以後、地域の人々は毎年、文章がはっきり読めるよう、この石碑に刻まれた文字に墨入れを行っており、世代が変わった今もそれは続いているのだ。過去とまったく同じことは決して起こらない。しかし、同じようなことは何度も起こっている。だからこそ、歴史に学ぶ必要があるのだ。

震災などの自然災害の様相や状況を記した碑やモニュメントは、全国に存在する。ただ、残念ながら多くが人目に付かない隅に追いやられてしまっている。それでも現在、全国639市区町村2234基が、国土交通省・国土地理院のホームページで公開されている。皆さんの近くにも石碑が立っているかもしれない。一度確認してみてはいかがだろうか。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。
多摩大学客員教授。早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『日本史の新常識』出演のほか、著書に『逆転した日本史』(扶桑社)

(ノジュール2025年2月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)

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