河合 敦の日本史の新常識 第68回

かつて教科書で学んだ歴史は、新事実や新解釈をもとに定期的に改定されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
日進月歩の研究によって解明される〝新しい日本史〟や〝知られざる新常識〟について、歴史研究家・河合敦さんが解説します。

日本人は西洋料理の虜?

日米和親条約の饗応


イラスト:太田大輔

今年3月に日米首脳会談が行われた。中東での戦火が拡大する中、日本にとっては緊張を強いられる会談だった。

実は170年以上前(1854年)、今回とは比較にならない緊張感の中で日米交渉が行われた。日米和親条約に関する話し合いである。前年、4隻の黒船で浦賀沖に来航したペリーは、久里浜に上陸して大統領の国書を幕府に押しつけ、補給地として港の使用を迫り、翌年の再来を告げて退去した。約束どおり翌年1月に7隻の軍鑑を率いてやって来たペリーは、旧暦2月10日に約500名の兵とともに横浜に上陸。うち約30名が応接所に入り、開国のための日米交渉が開始された。この際、幕府はペリーら300人に昼食を提供した。料理は日本橋の高級料亭・百川が請け負ったという。

当時の献立表を見ると、90種類以上の料理が列記されている。小鯛の形づくりの吸い物、鯛のヒレ肉、ハマチ、イノシシのうま煮、伊達巻ずし、鴨大身、ヒラメの活き造り、かわ茸、車エビ、生海苔、土佐ショウガ、カステラなど、なかなか豪勢なものであった。

だが、アメリカ人たちは感激しなかったようでペリー側の記録には「酒や果物と菓子やスープと魚とから成る饗応に招かれた」(『ペルリ提督 日本遠征記(三)』岩波文庫)と素っ気ない記述があるだけで、料理を食べた具体的な感想や料理の描写は記されていない。また、通訳としてペリーに従っていたウイリアムズも、「今日の料理は、これが標準かもしれないが、さして費用をかけたものではなかった」(『ペリー日本遠征随行記』サミュエル・ウェルズ・ウイリアムズ著 洞富雄訳 講談社学術文庫)と記しており、どうもアメリカ人にとって高級料亭の本膳料理は口に合わなかったようだ。

3回目の日米会談が終わり、条約内容の妥結のめどが立った2月29日、今度はペリーが幕府の役人約70名を黒船(ポーハタン号)内で饗応した。このときのためにペリーは、生きた牛や羊、鶏を船内で飼育しており、ペリー付きの料理長らが腕を振るって豪勢な西洋料理を大量に作り上げた。

応接掛(日本代表団)の林復斎、井戸覚弘、伊沢政義らの座席は艦長室に設けられ、そのほかは甲板上にセッティングされた。特に応接掛には大きなケーキが用意され、ケーキにはそれぞれの陣羽織の模様をあしらった小旗が差してあった。サプライズである。

黒船で接待を受けた日本人は、シャンパンやリキュール酒を好んで何杯も飲んだという。料理も喜んで食べた。食卓に山盛りになった食べ物の数々をどんどん平らげていったといい、ペリー側の記録には「日本人の食慾は猛烈で、皿を選んだり、食事の順序の見界をつける餘裕など殆どなく、魚、獣肉、鶏肉、スープとシロップ、果物とフリカッセー(略)をゴチャ〳〵に詰めこんで、驚くべき無作法さを示した」(『ペルリ提督 日本遠征記(三)』岩波文庫)とある。よほどペリーの饗した西洋料理は、日本人の好みに合っていたようだ。

アメリカが催した宴会中に幕府の役人たちは大いに酔っ払い、大声で賑やかに騒いだ。交渉では仏頂面づらをしていたが、それがうそのようだった。特に幕府高官で儒学者の松崎満太郎などは、千鳥足でペリーに抱きついて腕をその首に回し、「日本とアメリカは同じ心である」(前掲書)と何度も繰り返した。酒が入ると無礼講というのは、日本の悪しき伝統なのだろう。

ただ、幕府側の記録を見てみると、宴会について「ホウハタンと申、蒸気船へ行、饗応有之候、七ッ半時帰り申候」(『墨夷應接録初篇 天』国会公文書館蔵)とあるのみだ。事実なら日本側が饗応で大騒ぎをしたことはアメリカ側の誇張ということになるが、接待を受けた河田迪斎の日記(『南征日記』)には、アメリカ人から慇懃に酒をすすめられ、楽しく数刻を過ごし、みんなで「万歳」を唱えて宴会が長引いたと書かれている。つまり、日本の役人たちが暗黙の了解で、宴会で酔っ払って大騒ぎをしたことはおくびにも出さぬようにしたのだろう。

こうしたペリーの接待攻勢もあってか、それから3日後に行われた4回目の交渉で、日米和親条約が締結された。

日米の代表団が条約に署名した後、これを祝して幕府側が再び豪勢な料理を提供した。だがこの料理についてペリー側の記録には、料理は「主として鮮魚でつくつたものであつた」「異様な饗宴によつて、ほんの僅かしか満足させられない食慾を抱いたまゝ立ち去つたことを白状しなければならない」(『ペルリ提督 日本遠征記(三)』岩波文庫)と記されている。

現在の日本食ブームを思えばうそのような話だが、当時のアメリカ人の口に鮨や刺身は合わなかったようだ。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。多摩大学客員教授。
早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『日本史の新常識』出演のほか、著書に『オモシロ日本史』(JTBパブリッシング)。

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