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河合 敦の日本史のウラ話 第4回

日本史がターニングポイントを迎える時、綺羅星の如く現れる、偉人、賢人、豪傑、美女たち……。
誰もが知っている歴史事件とその英雄たちの背景にある、教科書が教えないウラ話を、歴史家・河合 敦さんがご紹介します。

善人なのか、悪人なのか?
明智光秀と〝本能寺の変〟の謎


イラスト: 太田大輔

福知山〈ふくちやま〉城(京都府福知山市)には、これまでに4度訪れた。10年前に初めてこの城の石垣を見たときの驚きは、今でも忘れられない。以来、この城は私のお気に入りだ。

福知山駅から「お城通り」を東に向かって10分ほど歩くと、大名屋敷のような白亜の建物が見えてくる。佐藤太清〈さとうたいせい〉(福知山出身の現代日本画の大家)美術館である。その背後の丘にそびえているのが、福知山城(復元)だ。記念館の脇道から城へ向かうが、かなりの急勾配なので、5分も進むと左手に町並みが一望できる。頂上手前のカーブを大きく右に曲がると突然視界が開け、均整のとれた三重四階建ての大天守が目に飛び込んでくる。

乱雑に積み上げられた石垣のなかに、自然石に混じって長方形の石がいくつか見える。目を凝らすと文字や模様が描かれているが、実はこれ、石塔(五輪塔、宝篋印〈ほうきょういん〉塔)や石仏なのだ。天守再建にあたって発掘調査をしたところ、五百個以上も見つかったという。何とも罰当たりな気もするが、石塔や石仏は長年信仰の対象だったことから、いわゆるパワー・ストーンとして城を守護する効果を期待したのだという説がある。また、新城主と住民の一体化を意図しているのだという説も。

この〝新城主〞とは、明智光秀のことを指す。光秀といえば、天下統一を目前に控えた織田信長を裏切って、本能寺の変を起こした逆臣のイメージが強い。宣教師のルイス・フロイスは、実際にこう残している。「(光秀は)全ての者から快く思われていなかったが」、「才略、深慮、狡猾さにより、信長の寵愛を受け」た。「裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく」、「人を欺くために七十二の方法を深く体得し、かつ学習したと吹聴していた」(『日本史』松田毅一訳/中央公論社)

そんな光秀の前半生はいまだに謎が多い。確実な史料として登場するのは、永禄12年(1569)のことで、将軍足利義昭と信長の双方に仕え、京都支配の一翼を担っていたようだ。しかし、それからわずか2年後の元亀2年(1571)には比叡山延暦寺の焼打ちで活躍をし、信長から近江国志賀郡を与えられ、坂本城を造り始めている。信長の家臣として城主になったのは光秀が初めて。さらに天正7年(1579)には、丹波一国を平定して国持大名になった。ある意味、明智光秀は織田家一の出世頭だったのだ。

福知山城は、光秀が丹波国を支配する一環として築いたもの。同時に城下町を整備したり、治水のための堤防(明智藪)をつくったり、人びとの税を軽くしたりと、善政を尽くしたので、福知山ではいまも光秀は名君として讃えられている。江戸時代には、光秀を祀る御霊〈ごりょう〉神社も創建された。

この神社には、光秀が定めた十八条からなる家中軍法が所蔵されている。そこには「水に沈んでいた瓦礫のような私を信長様が見いだしてくださり、多くの兵を預けてくださった。その感謝の気持ちは、子々孫々にいたるまで忘れてはならない」と記されている。この家法には、〝天正九年六月二日〞の日付がある。まさにそれからちょうど一年後、光秀は京都の本能寺にいた信長を大軍で襲撃しているのだ。いったいこの一年のあいだに、両者に何があったのだろうか。

光秀は信長を恨んでいた(怨恨説)、天下人になろうとした(野望説)、いや後ろに糸を引いている人物がいた(黒幕説)など、本能寺の変の真相はいまだ闇の中。日本史最大のミステリーといっても過言ではない。

近年、とある文書が発見され、新たに注目されているのが四国征伐回避説である。土佐の長宗我部元親〈ちょうそかべもとちか〉は、光秀の仲介で織田氏と同盟を結んでおり、信長は元親が四国を平定するのを了解していた。ところが、長宗我部氏が実際に四国を平定しそうな勢いを見せると態度を一変。「土佐一国と阿波半国しか認めない」と言い出した。仕方なく光秀が長宗我部側にそれを伝えると元親は激怒。それに応じるかのように信長は長宗我部(四国)征伐に動きはじめた。困った光秀は元親を説得し、元親も信長の出した条件を飲んだが、結局信長は方針を撤回せずに大坂に大軍を送り、四国へ渡海させようとした。これでは光秀の面目は丸つぶれであり、自分の失脚につながる可能性もある。光秀は、苦しい立場に立たされて、ついに謀叛に及んだという説だ。

2020年の大河ドラマでも、主役として活躍する明智光秀。重大な歴史の局面がいったいどう描かれるのか、楽しみである。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『目からウロコの日本史』『世界一受けたい日本史の授業』『逆転した日本史』など。多摩大学客員教授。

(ノジュール2020年1月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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