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あの世とこの世の境を歩く

小野 篁

文=夏宮橙子(おふぃす・TO) 写真=宮川 透、中田 昭、アフロ

昼は朝廷に仕え、 夜は冥土の閻魔庁で働いていたという 伝説が残る小野篁。
あの世とこの世の境「六道の辻」に、 魔界へつながるという井戸を訪ねます。

あの世とこの世の境
「六道の辻」を訪ねて

東山区の東大路通から松原通を西へ下って行くと、右側に朱塗りの山門が現れた。六道珍皇寺〈ろくどうちんのうじ〉だ。門の脇には「六道の辻」と刻まれた石碑が立っている。古来、このあたりはあの世とこの世の境とされ、東から南側には平安京の葬送地・鳥辺野〈とりべの〉が広がっていた。 六道珍皇寺には、平安時代初期の官僚で歌人・漢詩人であの世とこの世の境「六道の辻」を訪ねてもあった小野篁〈おののたかむら〉にまつわる奇妙な伝説が残る。 山門をくぐると正面奥に本堂、その手前の右手に閻魔堂(篁堂)が立つ。格子戸の隙間から堂内へ目をこらすと、束帯〈そくたい〉姿の小野篁立像が見えた。像は六尺二寸(約186㎝)で等身大という。平安時代の男性の平均身長が約160㎝というから、抜きんでて長身だったことがわかる。端正な顔立ちと充血した眼に見下ろされると、心の内まで見透かされそうだ。その隣には、篁作と伝わる閻魔大王坐像が祀られている。篁は、昼は朝廷に、夜は冥土の冥官〈みょうかん〉として閻魔王に仕えていたといわれる。

「地獄の冥官」「野狂」と
噂された篁の姿に迫る

その少年時代、篁は父の赴任先の陸奥国〈むつのくに〉で弓馬に明け暮れて過ごす。帰京後、学問に専念して文章生〈もんじょうしょう〉から東宮〈とうぐう〉学士、最終的には参議へと出世を果たした。一方、その豪胆な性格は、時に災いをもたらした。37歳の時、遣唐副使に任命されるも大使の理不尽な要求に立腹して遣唐使を痛烈に風刺、嵯峨上皇の怒りにふれて隠岐〈おき〉へ流罪となったのだ。

わたの原 八十島〈やそしま〉かけて
漕ぎ出でぬと
人には告げよ あまのつり舟
(広い海を、たくさんの島々を目指して漕ぎ出して行ったよ、と
都にいる人々には告げてくれ、漁師の釣り船よ)

(ノジュール2020年7月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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