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大切に守り伝えられた聖林寺十一面観音像

その美しさに隠された秘密

写真=三好和義 文=笹沢隆徳

数少ない天平彫刻の名品・聖林寺十一面観音像。
幸運にも明治の激動の時代を乗り越え、昭和26年(1951)に初回国宝に指定された秘仏の、比類なき美しさの秘密とはー ?
特別展「国宝 聖林寺十一面観音 ー 三輪山信仰のみほとけ」の見どころとともに、東京国立博物館の増田政史研究員に伺いました。

天平仏の特徴を残す
十一面観音像の最高傑作
身体を三十三身に変化させて一切衆生〈いっさいしゅじょう〉を救済する慈悲の菩薩として、古来、広く信仰されてきた観音菩薩。そのなかで、千手観音と並んで信仰を集めるといわれるのが十一面観音だ。美仏が多い十一面観音像において、奈良県桜井市の聖林寺〈しょうりんじ〉の十一面観音は、〝最高傑作〞として多くの人を魅了してきた。境内から三輪山〈みわやま〉を望む聖林寺は、和銅5年(712)に藤原鎌足の長男、定慧〈じょうえ〉が創建したと伝わる古刹。とはいうものの、この像は当初から聖林寺にあったわけではない。

日本では7世紀以来の神仏習合思想に基づき、神社には付属する仏教寺院として神宮寺が設けられるのが一般的だった。聖林寺の十一面観音は、三輪山の麓に建つ大神〈おおみわ〉神社の神宮寺だった大神寺(鎌倉以降は大御輪寺〈だいごりんじ〉)の本尊として、天平時代の760年代に造像されたものである。

増田さんによると、この頃は華やかな仏像が作られた時代だったという。「日本で仏像が初めて作られた飛鳥時代の像は、まず法隆寺金堂の釈迦三尊像に代表されるようにアルカイック・スマイルを浮かべ、平面的で硬いスタイルが、後半の白鳳文化では、繊細な若々しさやみずみずしさが表現された仏像が特徴です。さらに仏教文化が成熟した奈良時代の天平文化になると、外来から取り入れたものを日本風にアレンジした華やかな仏像が作られるようになりました。聖林寺十一面観音は、この天平文化の特徴をよく残しています」

仏教文化の破壊という
苦難を乗り越え「新国宝」へ
大御輪寺に安置されていた時代の十一面観音は、御前立〈おまえだち〉観音など多くの諸仏に守られていたという。ところが明治元年(1868)、新政府は「神仏分離令(神仏判然令)」を発布。それに伴い、各地で仏像や経巻〈きょうかん〉、仏具の焼却や除去が盛んに行われた。いわゆる「廃仏毀釈〈はいぶつきしゃく〉」である。「当時は、仏教関連のものが徹底的に破壊された地域もあります。しかし、かつて朝廷が置かれていた奈良では仏への信仰が強かったのか、廃仏毀釈の動きも比較的緩やかでした。十一面観音が聖林寺に移されたのはこの頃。聖林寺の住職が大御輪寺住職の兄弟子だったことから、聖林寺を頼ったと考えられています」

日本の歴史上、類を見ないほどに仏教文化が破壊された廃仏毀釈。聖林寺の十一面観音は、仏教界におけるこの激動の時代を乗り超えた。そして旧国宝に指定され、文化財保護法制定翌年の昭和26年(1951)、改めて〝新国宝〞のひとつに指定されたのである。

(ノジュール2021年6月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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