河合 敦の日本史の新常識 第13回

ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。

世界遺産登録でさらに注目。

新解釈で広がる、縄文の世界


イラスト:太田大輔

2021年7月、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録決定した。

1万年以上続いた狩猟・採取の安定した定住生活や高い精神文化が評価されたのである。近年は縄文ブームが続いており、2018年に東京国立博物館で開催された特別展「縄文―1万年の美の鼓動」には、2カ月の会期中に35万人以上が来場した。これは主催者の想定をはるかに超えた人数だったという。

ところで、最近の教科書は、昔と比べると、縄文時代の記述内容が大きく変わっている。昔は、縄文時代は氷河期が終わり地球が温暖化した1万年前に始まったと習ったが、いまの教科書は1万3千年前を始まりとしている。さらに教科書のコラムや脚注で1万6500年前の可能性を指摘しているのだ。土器の登場を縄文時代の始まりとするのが一般的だが、最新の炭素14年代法を用いてある土器を測定したところ、この数値がはじき出されたのだ。そうなると、縄文時代は氷河期に始まったことになってしまう。縄文人の住まいといえば竪穴住居。狭くて暗いイメージがあるが、最近の教科書には「青森県の三内〈さんない〉丸山遺跡のように、集合住宅と考えられる大型の竪穴住居がともなう場合もある」(『詳説日本史B』山川出版社 2018年)と書かれている。集合住宅、つまりアパートに住んでいた縄文人がいたというのだ。こうした数十mを超える長大な建物跡が次々と発掘されているのは、今回、世界文化遺産に登録された三内丸山遺跡だ。縄文集落は多くても20〜30人程度で暮らしていることが多いが、この三内丸山遺跡は最大500人が住み、1500年のあいだ集落が存在し続けた桁外れの巨大遺跡である。

東京書籍の教科書『新選日本史B』(2017年)は、1ページを割いてこの遺跡を紹介し、遺跡で見つかった直径約2mの柱穴の写真を掲載している。4・2mの等間隔で3つの穴が2列で発見され、穴の中には直径1mを超える柱(クリ材)が残っていた。太さから推定すると高さ10〜20mの柱が立っていたと推定される。穴にかかる加重を計算した結果、柱上に構造物があった可能性が高いことが判明した。つまり、巨大神殿だったかもしれないのだ。

三内丸山遺跡ではクリやリョクトウ、ヒョウタンなどの栽培痕が見つかり、縄文人が原初的な農耕をおこなっていたことが判明した。別の遺跡では、稲の栽培の可能性がわかる痕跡も見つかっている。縄文時代の人々は、農業もしていたのだ。

縄文研究は、急速な進展を見せている。例えば埋葬である。縄文人は、小さな穴に遺体を折り曲げて葬る屈葬が一般的だったとされる。胎児の姿にして大地に戻すためとか、大きな穴を掘る労力を嫌ったなど諸説あるが、有力なのは死者の霊が悪さをしないためという説だ。教科書でもこの説が紹介されているが、実は明確な屈葬例は極めて少なく、肘を伸ばし腰や膝を軽く曲げた自然体が圧倒的に多い。このほか身体を伸ばして葬る伸展葬、遺体の顔に甕かめをかぶせる「甕かぶり葬」、遺体を一度掘り返し、骨を再度埋葬する複葬なども見られる。100体以上を大きな穴に葬った複葬例も見つかっている。

東北の縄文集落には、石を円形に並べたストーンサークルが見られるが、近年、その下に人骨があることがわかり、墓地だと判明した。赤ん坊や幼児の遺体は、土器に入れて家の側に埋めることも多い。このように縄文人の埋葬方法はバラエティーに富んでいたのだ。

数多く出土する土偶(土でつくった人形)も、教科書では、豊かな収穫や集団の繁栄を祈ってつくったと書かれているが、破壊されていることが多いので病気や怪我の治癒を願って身代わりとして破壊したという説も強い。このほか呪いの人形説、愛玩説、崇拝物説、植物(その精霊)をかたどった説がある。文字が残っていないので、さまざまな解釈が可能なのだ。

縄文晩期に九州で始まった稲作は、西日本から東海、関東を経て東北へ入ったと考えられていたが、近年、関東の稲作導入は遅かったことが判明している。自然が豊かで狩猟・採取で暮らせたので、稲作を導入する必要がなかったからだ。また、早い段階で稲作を導入した東北地方の北部(青森県)では、開始から300年ぐらい経つと、稲作を放棄して元の狩猟・採取の生活に戻っている。海を隔てた北海道は続縄文文化(狩猟・採取の文化)が花盛りで、この生活形態が南下したらしい。狩猟よりも稲作が文明的だというのは私たちの幻想なのだ。いずれにせよ、縄文時代の常識は、大きく変わっているのである。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『教科書に載せたい日本史、載らない日本史〜新たな通説、知られざる偉人、不都合な歴史〜』(扶桑社新書)、『絵画と写真で掘り起こす「オトナの日本史講座」』(祥伝社)など。
多摩大学客員教授。

(ノジュール2021年10月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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